この記事では、「嚆矢濫觴」の意味を分かりやすく説明していきます。
「嚆矢濫觴」とは?意味
「嚆矢濫觴」とは、物事が始まることで嚆矢が矢を敵陣に撃ち込むという意味で、濫觴が川の主流のことで源との意味です。
つまり、戦争の始まりことを「嚆矢濫觴」という言葉は示しており、戦争というものは一発の銃声や矢で起こり、川のように氾濫することで混戦になるというのがこの言葉の意味で物事の始まりは一発のなにかで始まるという意味になります。
「嚆矢濫觴」の概要
「嚆矢濫觴」は、とどのつまりが物事の始まりについては、戦争というもので考えるとわかりやすく、きっかけは一発何かが起きれば、物事が動作するというもので、逆を返すときっかけの一発をだれもが作り出さないと何も起きないというものです。
ただ、昔は、物事が動くきっかけというものが一つの何かがきっかけでしたが、最近はそうでもなく、集団で物事を動かそうとするテロリズムのような物でも物事が動くため、必ずしも一人が何かを起こせば、物事が変わるというものではなく、むしろ、集団で行動をした方が案外と物事が動く可能性がありますのでかならずしも、「嚆矢濫觴」の考えで物事が動くとは限りません。
「嚆矢濫觴」の言葉の使い方や使われ方
「嚆矢濫觴」は、物事が始まる際の例えとして使用されます。
その際に物事の始まりは必ず一発の何かだという場合に使用するのがこの言葉です。
「嚆矢濫觴」を使った例文
・『バーゲンセールの開始を告げるとともに、嚆矢濫觴のごとく人が押し寄せる』
この例は、バーゲンセールの開始を告げたとたんに、物事が始まり、人が押し寄せたというもので、物事の始まりはバーゲンセールの開始の合図になり、合図をしたが故、人が押し寄せたという例になります。
・『嚆矢濫觴とはいうが、今のところ何も起きていない』 この例は、あらかじめ、何かが起きると聞かされていて、ここが物事の始まりだと言われているが別に何も起きていないように見えるという例です。
ただし、裏で何かが起きていることもあり、目に見えない何かが裏で動いている場合もあるため、必ずしも、何かが始まると聞かされていて何も起きていないと言い切れません。
まとめ
「嚆矢濫觴」については、考え方においては、物事のきっかけは一発の何かであるというものなんですが、これは昔の考え方で現在では集団で何かを起こそうとしますのできっかけは各地で起きる集団の何かだとも考えられます。
たとえばテロリズムは、集団が一斉にいろいろなところで活動するが故物事が変化するというもので悪い方向にシフトすることもあれば、解放軍のように悪性を強いている政府を倒す勢力になったりと良い方向に進むこともあり、集団で活動しているものでも、物事のきっかけを作り出すことは実は可能です。
問題としては、「嚆矢濫觴」においては、物事が始まってからが重要で、物事の最終目的がどうであるかや犠牲者が出るかなどのほうが現在では一番重要視されています。