任侠映画でよく聞く独特の言葉に「娑婆に出る」があります。
普通の生活をしている限りまず使うことない言葉ですがいったいどのような意味なのでしょうか。
今回は、「娑婆に出る」の意味と類似表現について解説します。
「娑婆に出る」とは?意味
「娑婆に出る」「刑期を終えて刑務所を出所すること」という意味で使われる言葉です。
「娑婆に出る」の概要
「娑婆に出る」の「娑婆」は仏教用語で「この世」を意味する言葉です。
刑務所の中は世間とは隔絶された別世界でありこの世にあってこの世ならざる場所である、という考えからそのような場所から抜け出すことを「娑婆に出る」と表現します。
もともとは任侠やヤクザの世界で使われていた一種の業界用語のような表現ですが創作物などでも頻繁に使われたことから一般に広まりました。
本来の意味では刑務所から出所することのみを指しますが、そこから転じて「管理の厳しい場所から開放されること」という意味でも使われています。
例えば、管理の厳しい学校の寮からの外出や束縛の厳しい恋人から離れて一人で行動するときなど「監視や規制の心配がなくのびのび行動できる自由を手に入れる」というような意味合いでも使われています。
本来は裏の世界で使われる言葉なのであまり品の良い表現ではありません。
現在でもあらたまった場所で使われることはなく、意味こそ通じるものの扱いとしてはスラングに近い言葉です。
「娑婆に出る」の言葉の使い方や使われ方
・15年の刑期を終えて娑婆に出る。
・アイツが娑婆に出るとまずいことになる。
・娑婆に出てから初めての食事として大好きなカツ丼を食べる。
・あれだけのことをしでかしたら当分は娑婆に出られないだろう。
「娑婆に出る」の類語や言いかえ
・お勤めを終える
任侠の世界では刑務所で刑に服することを「お勤め」と表現します。
「お勤めを終える」とは無事に刑期を満了することであり「娑婆に出る」とはほぼ同じ意味合いになります。
「娑婆に出る」が「出所」を強調しているのに対しこちらは「刑期を終える」ことを強調していますが実質的な違いはなく言い換えも可能です。
・お天道さまを拝む
正々堂々と暮らせる社会の表街道のことを「お天道さま」と表現します。
後ろめたいことがあって人目を気にしなければいけない境遇のことを「お天道さまの下を歩けない」と表現しますが、法的な責任である刑期を終え無事に社会の表舞台に復帰できる状態になることを「お天道さまを拝む」と表現します。
日の当たらない刑務所から表に出てきた、という明るいイメージが強調された言い方です。
・解き放たれる
「高速から開放されて自由になること」というのが本来の言葉の意味ですが、江戸時代罪人を解放することを「解き放ち」と表現していたことから出所のことを高表現することがあります。
一般的には「凶悪犯など収監されていて欲しかった人物が社会に出てしまった」という恐れや不安のニュアンスを込めて使われることが多く、枷やくびきがなくなり再犯が懸念される人物に用いられる表現です。
まとめ
「娑婆に出る」は日常生活では使わない言葉ですが意味を知っている人は多く広く浸透している表現です。
言葉を知っておかないと目にしたときに全く理解できないのでこの機会にぜひ覚えておいてください。