時代劇でときどき見る「御百度」とはどのようなものなのでしょうか。
今回は、「御百度」の意味と類語について解説します。
「御百度」とは?意味
「御百度」とは、「願いを叶えるため神仏に百回祈願すること」を意味する言葉です。
「御百度」の概要
「御百度」というのは願掛け方法の一種です。
願い事を叶えてもらうために神仏に祈ることを「願掛け」といいます。
「御百度」とは通常一度である願掛けを百回繰り返すやり方のことで、非常に強い思いを込めて一心に祈願するときに行われる願掛け方法です。
「御百度」は正式名称を「御百度参り」といいます。
神社や寺で神仏に願うことを「お参り」といいますが、お参りを百回することを指す言葉が「御百度参り」です。
単純計算すると通常の願掛けの百倍の手間と負担がかかる方法でありこめられた祈りも相応に強いものになるので神仏からのご利益もそれなりに大きなものが期待できる、というのが「御百度」の考え方です。
「御百度」の正式なやり方については諸説ありますが一般的には「基準となる地点を決めてそこからスタートして社や寺にお参りしお参りが終わったらスターと地点に戻り再びお参りする、という作業を往復で百回行う」と言うやり方が主流です。
何回お参りしたのかわかるようにこよりや小石などを100個持参し、一回お参りするたびにスタート地点にひとつ置いてなくなるまで繰り返すという方法で数えます。
汚れた身なりでのお参りは神仏に対し失礼にあたることから「御百度」の際は身を清め清潔な衣服を着用する精進潔斎で望むのが正しいやり方です。
神仏の前で騒ぐのも失礼な行為なので「御百度」の最中は声を発してはいけません。
うっかり声を上げるとご利益が逃げてしまうとされているので注意してください。
誤解されることが多いですが「御百度」は人に隠れてやる必要はありません。
人に見られていてもご利益に変わりはないとされています。
人に見られないよう行うのは丑の刻参りなど呪いをかけるときなので混同しないでください。
「御百度」は広義では呪術儀式の一種です。
手順や作法そのものに意味があるという考えに基づいて行われるものであり効果や効力よりもそれだけの手間ひまをかけて祈願したという事実が重要です。
日本ではかなり古い歴史があり平安時代以降全国各地で行われてきたという記録が残っています。
「御百度」の言葉の使い方や使われ方
・『病気平癒のため御百度を踏む』
・『第一志望に無事合格できたのは母の御百度のおかげなのかもしれない』
・『御百度に備えて身を清める』
・『御百度を踏んだことがある、という知り合いは一人もいない』
「御百度」の類語や言いかえ
・水垢離 「冷水を体に浴びながら神仏に祈願すること」を意味する言葉です。
本来は祈願に備えて身を清めるための行為を指しますが、冷たい水を浴びながら直接祈る行為を指す言葉として使われています。
「御百度」と同様に通常のお参り以上の気持ちを込めて祈願するときに行われる方法です。
まとめ
「御百度」は現代ではあまりなじみのない言葉ですが、今でも目立たないだけで実行している人は全国にたくさんいます。
神仏への祈願は神聖な行為であり悪いことを願ってしまうと自分の身に不幸が振りかかるとされています。
くれぐれも願い事の内容には注意してください。