この記事では、「忠誠」と「忠義」の違いを分かりやすく説明していきます。
「忠誠」とは?
「忠誠」は、真心のことでであり、真心を尽くすことを指す言葉です。
この単語を分解すると、「忠」と「誠」ですが、この「忠」は儒教の根本道徳の一つで、日本においても封建時代の道徳観として浸透したもので、内省して自分を欺くことなく良心の命じるままに従うことを言います。
従って、「忠誠」は何事に対しても欺く事なく、「誠」に尽くす事を意味します。
「忠義」とは?
「忠義」とは、君主や国家に真心を尽くして仕えることを意味する言葉です。
「義」の意味は、儒教における五常と呼ばれる「仁・義・礼・智・信」の一つで、人のふみ行うべき正しい筋道や私欲を捨て、公共のためにすることを指す言葉です。
従って「忠義」は、人のふみ行うべき正しい筋道や私欲を捨て、公共のためにすることに「忠誠」を示す事を指す言葉と言え、「忠義」には、君主に尽くすと言う意味が当初からあった訳ではないと思われます。
しかし封建時代に公に尽くす事は、すなわち君主に尽くす事であり、それが「義」とされて、「忠義」は君主や国家に真心を尽くして仕えることを意味する言葉となったと言えます。
民主主義が定着した現代社会では、君主は存在せず、従って「忠義」は死語となりつつあると言えます。
それでも『忠義立てをする』や『忠義面をする』といった表現として残っています。
しかしこの表現には真心を尽くすと言うよりも、無理やり行わされると言ったニュアンスが強く、これも時代の変化を反映した使い方と言えるでしょう。
「忠誠」と「忠義」の違い
「忠誠」は、真心のことでであり、真心を尽くすことを指す言葉です。
一方の「忠義」は、君主や国家に対して真心を尽くして仕えることを意味する言葉です。
従って、「忠誠」は何に対して真心を持って対応するは限定されていませんが、「忠義」は真心を示す対象が、君主や国家に限定されています。
すなわち、「忠義」は君主や国家に「忠誠」を尽くす事だと言えます。
これは封建時代の道徳等が色濃く感じられる言葉で、民主主義が定着した現代では、少し違和感があり、次第に死語となりつつあると言えるのです。
また、「忠義」よりも「忠誠」の方が、言葉としての柔らかさを感じるのも、こうした背景によるものと思えます。
まとめ
「忠誠」は、真心のことでであり、真心を尽くすことを指す言葉です。
一方の「忠義」は、君主や国家に対して真心を尽くして仕えることを意味する言葉です。
すなわち「忠誠」は、何に真心を尽くす場合にも使われる言葉ですが、「忠義」は君主や国家に真心を尽くす場合にのみ使われると言う違いがあります。
言い換えれば、「忠義」は君主や国家に「忠誠」を尽くす事だと言えます。
この様に、「忠誠」の方が「忠義」より幅広く使える言葉です。
また「忠義」は封建社会の道徳感と結びついた言葉であり、民主主義が定着した現代では、死語となりつつあると言えます。