生きている以上、時間軸などに関係なく、物事の成り行きを心配することはよくあります。
例えば、プロジェクトや試験の結果についてだったり、親しい人の安否だったりと様々です。
「心配」という言葉が代表的ですが、日本語ではそれ以外にも様々な心配に関係をする言葉があります。
少し堅苦しい言葉ではありますが、代表例に「懸念」と「杞憂」の2つがあるのではないでしょうか。
この記事では「懸念」と「杞憂」の違いを分かりやすく説明していきます。
「懸念」とは
この単語の意味は「先行きが気になり不安になること」を表します。
平たく言ってしまえば「心配」の堅苦しい表現とも言えます。
もともと「懸」は「何かが引っかかる」という意味を表しており、これに「念」、つまり「心」に引っかかるということで「気になってしまい不安になる」という意味になっています。
使い方としてはそのまま「心配」を入れ替えることが出来ますので、例えば「心配している」を「懸念している」などの様に簡単に入れ替えることが可能です。
ちなみに、仏教用語でも「懸念」という言葉がありますが、これは意味が全く違っており、一つの事に執念すること。
つまり「執念」という意味になります。
「杞憂」とは
これは「する必要のない心配」のことを表した言葉です。
一言で説明をすると「取り越し苦労」とも言えます。
成り立ちは面白く、中国の杞という国の人々が点が崩れ落ちてきたらどうなってしまうのかとあれこれ考えて、憂えていたという物語からこの言葉が出来ています。
まさに、「取り越し苦労」と言うことはできるエピソードではないでしょうか。
「懸念」と「杞憂」の違い
この2つの単語は「心配」か「取り越し苦労」の違いではっきりと使い分けることが出来ます。
単純に何かを不安に思っているのであれば「懸念」。
心配しなくてもいいことや結果的にそうなってしまった場合は「杞憂」と覚えて頂ければ間違いはありません。
「懸念」の例文
・『各国はA国の大使の発言が大きな外交問題に発展するのではないかと懸念している。』
・『判断の遅れによってプロジェクトの進捗に遅れが出て来ることが懸念された。』
・『学力は上がっているが、テストまでの期日があまりにも短いため、強い懸念を抱いている。』
「杞憂」の例文
・『佐藤さんは以前から抱いていたプロジェクトに関する懸念が杞憂に過ぎなかったと知って安心していた。』
・『確かに仰るとおりかもしれません。それが単なる私の杞憂であることを願っています。』
・『今後の生活に関して家族の心配は決して杞憂とは言えないかもしれない。』
まとめ
如何でしたでしょうか。
「懸念」は単純に「心配」と同義語ですが、「杞憂」は意外にも使い方に迷う方もいらっしゃったのではないでしょうか。
今回の記事でこれら2つの違いをしっかりとご理解頂き、今後において誤用がない様にして頂けると幸いです。