この記事では、「時は無情」の意味を分かりやすく説明していきます。
「時は無情」とは?意味
時間の経過は無情であるという意味で、無情には、いつくしむ心がないこと。
思いやりのないこと。
また、そのさまという意味になっています。
どうあがこうが時は過ぎてしまうという意味、時間が過ぎてしまったことによってできた差の大きさを表す意味、時代の流れの厳しさを表す意味、加齢や朽ちていくことの無情さを表す意味など様々な意味があり、時は無情という言葉自体は辞書に明確に記載されているわけでは有りません。
「時は無情」の概要
時間が経過する前のものと経過したものを比較するケース、同じ時間を過ごしていたのに成功と失敗の差が激しいケースなど二つ以上のものを対象に使うケースが多くなっています。
朽ちてしまった建造物に対して「時は無情」と思うのは朽ちる前の姿がある程度想像できるからとも言えます。
また、時代の流れに取り残されてしまうという意味合いでも成功者とそうでないもの、または時代の流れで消えてしまうものという二つ以上の比較した視点があります。
どうあがこうが時は過ぎてしまうという意味あいの場合は、もっとうまく出来た、楽しいことが出来たなどの可能性とそうはできなかった現実の差を比較しているケースが多く、比較の要素がほぼ含まれていると言える言葉です。
「時は無情」の言葉の使い方や使われ方
「かつてはスタジアムで賑わっていたった場所も今では宅地になってしまい、時は無情と感じさせる」「夏休みどこにも行けず時は無情だ」「ミニディスクの衰退を見ると時は無情だ」「かつてのように元気には動けなくなり時は無情だ」などの使い方があります。
無情であるということから基本的に寂しさやネガティブさのある事柄に対しての感想が含まれ、時間経過は少なくとも1ヶ月以上はあり、それ以上はいくらでも時間を積み重ねることも出来ます。
「時は無情」の類語や言いかえ
ネガティブな意味合いがかなり強まりますが、用途がかなり近い「時は残酷」時間の流れの強さをより意識していますが用途はかなり近い「時間は止まってくれない」「時代の流れは凄まじい」「時代に取り残されてしまった」、二人の成功などを比較した際に使う「差をつけられてしまった」などが類語としてあげることが出来ます。
「時が止まったような風景」というのはある意味対義語ととることも出来ますが、ストレートに対義語とは言えないでしょう。
また、「年を取らない人」というのも、人に対して「時は無情」というケースに対する対義語と言えます。
まとめ
時は無情という言葉は、時間の経過と対比の要素がある言葉で、無駄な時間を過ごしたことも時は無情ということが出来ますし、老朽化や衰退と言った変化も時の流れとは切り離して考えることが出来ないもので、時は無情だという言葉で表現することが出ます。
加齢や差がついていくことのネガティブな部分を抽出した言葉とも言えます。