「杞憂に過ぎない」とは?意味や使い方、例文など分かりやすく解釈

「杞憂に過ぎない」とは?意味と使い方

この記事では、「杞憂に過ぎない」の意味を分かりやすく説明していきます。

「杞憂に過ぎない」とは?意味

心配する必要のないことである、という意味です。

「杞憂」には、心を悩ます必要のないものについて、あれこれと考えるという意味があります。

中国古代、杞の人が天が落ちてこないかと心配したと、伝えられています。

このことからの言葉です。

心配をしたところで、どうすることもできません。

心配する・しないにかかわらず、天のことは変わりません。

また、もし崩れ落ちてきたとしても、人間がどうこうできるものではありません。

災害を防ぐなどは難しいでしょう。

つまり、心配する必要のないことなのです。

それをあれこれ心を悩ますことをいいます。

「過ぎない」には、~でしかない、それ以上のものではない、ただ~であるだけのこと、という意味があります。


「杞憂に過ぎない」の概要

心をあれこれ悩ませるものには2通りがあります。

ひとつは、対処して心配を解消できるもの、もうひとつは対処できない心配してもどうにもならないものです。

たとえば、明日忘れ物がないだろうかと心配なことは、持ち物チェックをすれば対処できます。

これは対処できるものです。

明日雨が降るだろうかと心配をしても、何も変えられません。

これは対処できないものです。

心配してもどうにもならないものを心配していては、精神的に負担になります。

心配する必要のないものを心配しても、何かが変わるわけではなく、精神的な負担が増えるだけなのです。

短距離走の選手のことで説明をします。

ある選手は、これまで非常に素晴らしい成績を出してきました。

数々の競技で優勝をしており、新記録を出しています。

そのため、この選手には多くの人が注目しており、今後の活躍が期待されていました。

あるとき、選手がケガをしてしまいました。

周囲の人たちは「選手生命が危ないのではないか」「競技に出られたとしても、以前のようには活躍できないだろう」など心配していました。

ケガから復帰した選手が競技に出場をしました。

その競技で選手は1位になります。

これまでの周囲の人たちの心配は必要ないものだったのです。

心を悩ませたからといって、選手が回復するものではありません。

むしろ、選手にとっては有難迷惑だったりします。

心配する必要のない事柄であり、それは実際には起こりませんでした。

このさまを意味する言葉です。


「杞憂に過ぎない」の言葉の使い方や使われ方

人間の力ではどうにもできない事柄に使われる場合が多いです。

どうにもできないものを考えても仕方がありません。

「杞憂に過ぎない」の類語や言いかえ

どうなるかわからないことであれこれ心を悩ますという意味を持つものが、似た意味の言葉です。

それは「取り越し苦労」です。

まとめ

心配してもどうにもならないことがあります。

悩んでいたところで、実際にはその通りにならないことの方が多いです。

それを表す言葉です。

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