強い気持ちを表すときに使われる言葉「泥水をすすってでも生きる」とは具体的にどのような意味なのでしょうか。
今回は、「泥水をすすってでも生きる」の意味と類似表現について解説します。
「泥水をすすってでも生きる」とは?意味
「泥水をすすってでも生きる」とは、「生きるためにはなんでもする」という意味の言葉です。
「泥水をすすってでも生きる」の概要
人は生きていくために嫌なことややりたくないことに対して我慢を迫られることがありますが、普通に生きていくだけならある程度やりたいことを選びやりたくないことを避ける自由があります。
働きたくない仕事を進路から外したりタブーを避けて行動したりなど意識的にも無意識的にもいろいろと自分がトルコ東道を取捨選択して日々を生きています。
そのような人生における選択が許されるのはある程度余裕があるからです。
嫌な仕事を避けても他に仕事がある、やりたくないことをやらなくても挽回のチャンスがあるといったように何かを回避したとしても取り戻したりやり過ごしたりする余裕があるからこそ自由な選択が認められています。
ギリギリまで追い詰められている人だとそうは行きません。
生きるためのお金がなければ仕事を選り好みするわけにはいきませんし、他に仕事がなければ嫌な仕事や人が敬遠する作業をするしかありません。
そのような「嫌なことや汚れたこと」を普通の人なら飲まないであろう泥水に例えて生きる覚悟を表した言葉が「泥水をすすってでも生きる」です。
生きるためには泥水、つまり汚れたことを厭わないという生きるための強い決意を示す言葉であり、どん底にまで落ちたとしてもがむしゃらに生にしがみついてやるというすさまじい執着心が込められています。
「泥水をすすってでも生きる」の言葉の使い方や使われ方
・『世間からは爪弾きにされている自分だが泥水をすすってでも生きる覚悟だ』
・『泥水をすすってでも生きるつもりで一から出直す』
・『泥水をすすってでも生きる決意さえあればどんな仕事でもできるはずだ』
・『人気が落ちてからも地道なドサ回りを続けるその姿からは泥水をすすってでも生きるガッツが感じられる』
「泥水をすすってでも生きる」の類語や言いかえ
・這いつくばってでも生きる
「どこまで落ちぶれようとも生きる決意がある」という意味の言葉です。
「泥水をすすってでも生きる」が汚れ仕事や人から敬遠されることをやる決意を示すのに対し、こちらは上の立場からの転落を強調しています。
・何が何でも生きる
「どんな手段を使ってでも生きる覚悟がある」という意味の言葉です。
汚れ仕事や嫌な作業だけでなく卑怯なことや禁じ手、場合によっては犯罪などあらゆる方法を使ってでも生きる強い覚悟を表します。
まとめ
「泥水をすすってでも生きる」というのはどんな状況になっても諦めず生き延びるという不屈の精神をあらわす言葉です。
文学作品などで比較的よく使われる言葉なので意味を知っておきましょう。