昔の偉人が遺した言葉は、耳にしたことはあるけど使ったことはない、意味もよく知らないというものも多いでしょう。
「無知の知」も有名な言葉なので聞いた覚えがあったり、本などで見かけることはありますが、意味する所がわからない人も多いです。
この記事では、「無知の知」の意味を分かりやすく説明していきます。
「無知の知」とは?意味
「無知の知」とは自分が物事について何も知らないことを知っていることや、そう言った認識を持つ人を意味する言葉です。
単純に知識量が不足しているということだけでなく、自分が知ったつもりのことも本当は間違っているかも知れない、本質を捉えていないかもしれないと自覚することを指します。
より深い意味で言うと、知らないことは知ったかぶりをせず、知識がないことを自覚し認めることこそ、物事について正しく知る機会が得られ、物事の本質や真理を知るための第一歩であるという意味です。
「無知の知」の概要
「無知の知」は哲学の父とも呼ばれる古代ギリシアの哲学者、ソクラテスが持っていた思想から来ています。
ソクラテスは知識人が真に知識と知恵を持った人間なのか疑問に思い、問い掛けを繰り返すことで、知識人と言われている人たちも本当は知ったかぶりをしているだけの人なのだと暴きました。
そうした討論の中で知らないことをそれらしい言葉で誤魔化す人間より、知らないことを知らないと言える人間こそが多くのことを知る人間だと発言しています。
その知ったかぶりをしてしまう人を戒め、気付きを与える言葉を要約して生まれたと言われる言葉が、「無知の知」です。
「無知の知」の言葉の使い方や使われ方
「無知の知」はあまり日常的に使われる言葉ではなく、誰かが人生哲学や座右の銘として掲げるような使われ方をしています。
会話の中で使われる場合、知ったかぶりをしないで知らないことはちゃんと質問するようにという心構えを持たせるために使われることが多いでしょう。
また知ったつもりになっているけど間違っている、本当の意味で知っていると言えないということを指摘する時に使われることもあります。
「無知の知」の類語や言いかえ
「無知の知」と似た意味合いの類語としては、「汝自身を知れ」が有名です。
自分自身がどのような人物なのかを自覚しろという意味で、ソクラテスが座右の銘としていたと言われており、自分が知らない人間だという自覚を促す「無知の知」も、「汝自身を知れ」から生まれた考えだと言われています。
他には「無知の知」は自分が知っていることは本当に正しいのか疑問を持つこととしても扱われる言葉なので、自分の認識に対して使う「常識を疑う」も、類語と言えるでしょう。
まとめ
明確に何が正しいと決めたり、意味を完全に定義したりしない哲学が由来だけに、「無知の知」も正しい意味を把握するのが難しい言葉です。
ですが由来や使われ方から大まかな意味合いを知っておけば、「無知の知」という言葉や心構えが、自分の成長につながるかも知れません。