この記事では、「自惚れる」と「驕り高ぶる」の違いを分かりやすく説明していきます。
「自惚れる」とは?
「自惚れる」とは、自分のことを実際以上に優秀だ・素晴らしいなどと思い込むことです。
「自惚れる」の使い方
「自惚れる」は、自分の態度を自制するときにも、他人が調子に乗っていそうに感じてそれを指摘するときにも用います。
「自分に惚れる」と書いて「自惚れる」ですから、態度に出ている時よりも、内心で調子に乗ってしまっている場合に用いられることの多い言葉です。
「驕り高ぶる」とは?
「驕り高ぶる」とは、他人を見下した態度や、大きな態度をとり、尊大にふるまうことを指す言葉です。
「驕り高ぶる」の使い方
「驕り高ぶる」は、他人の態度への感想として使用することの多い言葉です。
言い換え言葉には「傲慢」などもあり、思いあがった行動や態度が目に余るときに用います。
「自惚れる」と「驕り高ぶる」の違い
「自惚れる」と「驕り高ぶる」の違いは、その慢心や傲慢さが、態度に出ているかどうかの違いです。
二つの言葉は、その意味は、とてもよく似ています。
二つとも、「自信を持っている」うえで、その自信がマイナスの意味合いを持ってしまっている、というニュアンスの意味です。
しかし、「自惚れる」が内心のみで思いあがっている場合も含む言葉であるのに対し、「驕り高ぶる」の場合は、外に向けて明確に見下した態度を取っている場合に用います。
そのため「驕り高ぶる」のほうが程度として強い言葉となります また実力が見合っているかどうかも、言葉の意味の違いを分けてきます。
「自惚れる」は、自信と実際が伴わない場合に用います。
ナルシスト的な自己陶酔や、実際以上に自分の能力・見た目を見積もっていると「自惚れている」と言えます。
これに対し「驕り高ぶる」では、実力それ自体は伴っていて、それを鼻にかけている場合に用います。
実力の有無も、言葉の違いに含まれているのです。
「自惚れる」の例文
・『あまり自惚れるなよ』
・『自惚れているかもしれませんが、私はとてもモテます』
・『自惚れが強い人は、褒めると大喜びするから、わかりやすい』
・『自惚れていたことに気づき、反省する』
「驕り高ぶる」の例文
・『あの先輩は、たまたま商談が取れてから、驕り高ぶっている』
・『驕り高ぶる客には毅然とした態度を取る』
・『あのときの自分は、驕り高ぶっていたかもしれない』
・『上司の驕り高ぶった態度に我慢ができない』
まとめ
「自惚れる」と「驕り高ぶる」は、どちらも、自分に対して極度な自信を持っていることについての言葉でした。
「自惚れる」は実力以上の自信を持ち、それを内心で鼻にかけている場合の言葉です。
それに対して「驕り高ぶる」は、相応の実力はあるものの、それを鼻にかけて思い上がり、人を見下した態度を取っている場合に使う言葉です。
二つの言葉には、実力が見合っているかどうかと、それを態度に出しているのか、内心だけで思っているのか、という二つの違いがありました。