人は皆さまざまな人達と関わりながら生きています。
しかし、自分にとっての中心は自我であり、人が何を考えているかを知ることはできないため、想像するとしても自己の考えを元にすることしかできません。
それによってコミュニケーションがうまくいく場合もあればうまくいかない場合もたくさんあります。
さて、ここで使用した「自己」とか「自我」という言葉の意味はなんでしょうか。
また、これらの違いはどこにあるのでしょうか。
この記事では、「自我」と「自己」の違いを分かりやすく説明していきます。
「自我」とは?
「自我」とは、「自分の心の中心にあるもので、自分が自分である意味」のことです。
「自我の目覚め」は数ヶ月の赤ん坊の頃から始まっており、「何かをしたい」と思って行動することにつながっています。
「自我」があることによって人間は生活できますが、逆にそれによって他人との軋轢が生まれます。
デカルトの「我思う、ゆえに我あり」というのは「自我」を認識する言葉です。
英語では、「ego」といえば良いでしょう。
「自己」とは?
「自己」とは、「自分」のことです。
対義語が「他者」であることから、もっと明確に言えば、「他人とは違う自分」を表す言葉です。
この言葉は日常生活の中でも頻繁に聞く言葉であり、かなり広い意味で使えるものです。
例えば、「自己批判」「自己犠牲」、「自己顕示欲」、「自己主張」など数えきれない熟語が存在します。
英語では、「self」が近いでしょう。
「自我」と「自己」の違い
「自我」と「自己」の違いを、分かりやすく解説します。
ここまでの説明は一般的な内容で行ってきましたが、この2つの言葉の違いをしっかり理解するためにはユング心理学の定義を用いるのが効果的でしょう。
それでは、ユング心理学における両者の違いはなんでしょう。
それは大きさです。
「自我」が心の中心に位置する比較的小さな概念であるのに対して、「自己」は「自我」を含んでいる、もっと大きな集合体であり、「他者」との境界を持っています。
「自我」の例文
「自我」の例文は以下のようになります。
・『自我に目覚めるということは自分と他人の違いを認識することにつながります』
・『他人の言葉によって自我が粉々に砕けてしまうこともあり得ます』
「自己」の例文
「自己」の例文は以下のようになります。
・『自己中心的な考え方は社会生活において悪影響を与えます』
・『自己紹介の中でよく述べられるのは出身地や趣味の話です』
まとめ
この記事では、「自我」と「自己」の違いを、解説してきました。
「自我」を意識するようになると、当然他者との違いを明確に感じるようになります。
他人は自己の延長線上にあることはないので、「自我」を意識すればするほど、他人がわからなくなります。
しかし、我々は皆同じ状況なので、これを前提として行動するしかありません。
そこに必要なのは「思いやり」であることは疑いがないでしょう。