この記事では、「蕭蕭として」の意味を分かりやすく説明していきます。
「蕭蕭として」とは?意味
もの寂しく感じられるさま、雨や風の音などがもの寂しいさまなどを指す言葉で、「しょうしょうとして」と読みます。
風景と相まって映える言葉で、都会と言うよりは人里離れた土地、山や川の夜などがイメージしやすい言葉でしょう。
花火や祭りがあるなどのシチュエーションとは対極にある言葉と言えます。
「蕭蕭として」の概要
蕭という漢字にはものさびしい、よもぎなどの意味があります。
「風蕭蕭として易水寒し、壮士一たび去りて復た還らず」という中国の戦国時代末期の燕の刺客・荊軻が歌ったものが有名で、荊軻をモチーフとしたキャラクターが登場するゲームなどでも最近は見られる表現です。
非常に蕭蕭としているというような強調した言葉も使えなくはないのですが、言葉自体が古いものであること、漢字も含めて難しい言葉であることもあり使用例自体はありません。
「蕭蕭としていない」という状況はものさびしくないという意味合いと言えなくもないですが、「蕭蕭として」という言葉の詩的な要素などがないという意味合いもあり、わざわざ「蕭蕭としていない」というようなことはないと言えるでしょう。
蕭蕭としてという言葉は、わずかに風情を楽しんでいる部分も含んでいるともとれますが、メインとして楽しむ目的の風情を表す言葉ではなく、蕭蕭としていたのが台無しだなどとという言葉は実際にはまず使われないでしょう。
「蕭蕭として」の言葉の使い方や使われ方
「廃線跡の駅の跡地は実に蕭蕭としている」「ひとりしか乗っていないバスは蕭蕭としていた」「河原の前に佇むと蕭蕭としてくる」「蕭蕭としている宿」などの使い方が挙げられますが、現在日本にいてそれほど幅広く使われている言葉ではないため、解釈を広げるような使い方は難しいと言えます。
「蕭蕭として」いる時に大雪や大雨が降った場合は「蕭蕭として」はなくなると言えるでしょう。
動物の大群が来た場合でも「蕭蕭として」はなくなってしまいます。
この言葉はハレの表現ではないということは確かで、明らかに使えないシチュエーションは「都会」「にぎやかな祭り」「行列」「新幹線の車内」「レース中の競馬場」などが挙げられます。
「蕭蕭として」の類語や言いかえ
「寂しい風景」「もの寂しい」「侘しい」「うら寂しい」「物悲しい」「ひと気がない」「乾いている」「人恋しくなる土地」などが言い換えとして使えるでしょう。
まとめ
蕭蕭としてという言葉はもの寂しく感じられるさま、雨や風の音などがもの寂しいさまなどを指す言葉でにぎやかであるとかうるさいと言った感覚とは対極に位置するものです。
情景をイメージしやすい言葉でもありますが、漢字の難しさや言葉としての難しさもあり、幅広く使われているものではありません。
現在使うとやや詩的な感覚を持った言葉になると言えます。