「襤褸を着ても心は錦」とは?意味や使い方、例文など分かりやすく解釈

「襤褸を着ても心は錦」とは?意味と使い方

心の内側や精神にまつわる言い回しはたくさんありますがその中のひとつに「襤褸を着ても心は錦」というものがあります。

一昔前に流行った流行家の一節としても知られる言葉ですが、どのような意味があるのでしょうか。

今回は、「襤褸を着ても心は錦」の意味と類似表現を紹介します。

「襤褸を着ても心は錦」とは?意味

「襤褸を着ても心は錦」「ボロボロの衣服をまとっていても心だけは高潔で気高い」という意味の言葉です。


「襤褸を着ても心は錦」の概要

「襤褸を着ても心は錦」「襤褸」とはボロ布やボロきれなど「ひどく劣化した布地や衣服」を指す言葉です。

この場合は着るものがボロボロであることを意味しており、そのようなみすぼらしい身なりになるほど苦しい生活をしていることを示しています。

「襤褸を着ても心は錦」「錦」「豪華絢爛で素晴らしく立派な絹織物」を指しますが、この場合はそこから転じた「錦のように立派であること」という意味が当てはまります。

ふたつの意味を合わせた「ひどくみすぼらしい身なりをしているが心のありようは見た目とは違って立派である」という意味を持つ言葉が「襤褸を着ても心は錦」です。

世間に認められなかったり不当な扱いを受けるなど苦しい状況にありながらも恨んだり嘆いたりすることなく精神の高潔さを変わらず保っている様子を指す言葉であり、普通の人間であれば到底真似できないような高い精神性を意味しています。

「ボロボロの服をまとったみすぼらしい外見からはとても想像できないほどの高潔な心持ち」から転じて「人を外見だけで判断してはいけない」という意味でも使われています。


「襤褸を着ても心は錦」の言葉の使い方や使われ方

・廃嫡敗着となった王子は市井に流れたが襤褸を着ても心は錦を体現するような立派な人物だった。

・襤褸を着ても心は錦は本人が胸に抱くものであって他人が言う筋合いはない。

・常日ごろから襤褸を着ても心は錦を体現している彼だけあって多くの支援者が集まった。

・どんなに落ちぶれたとしても襤褸を着ても心は錦の考えだけは忘れずに生きていきたい。

「襤褸を着ても心は錦」の類語や言いかえ

・武士は食わねど高楊枝
「武士は食事にありつけず飢えていても決してそのような姿を人には見せない」という意味の言葉です。

「襤褸を着ても心は錦」に比べると現実的な苦しさや貧しさを耐えるという要素が強く、苦境にあっても弱みをみせることがない様子を表します。

・痩せても枯れても
「どんなに苦しい状況にあろうとも」という意味の言葉です。

苦境にありながらも安易な道を選ばないときに使われる表現で、弱さに負けない強い精神性を持つ点に「襤褸を着ても心は錦」都の共通点が見られます。

・野にも人あり
「在野にも優れた人は多く埋もれた人材がいる」という意味の言葉です。

「取り立てられていないからといって能力や人格が劣っていると決め付けるべきではない」という教訓の意味を含む言葉で「襤褸を着ても心は錦」が個人の高潔さを表すのに対し、こちらは一般論として在野に優れた人物がいることを表しています。

まとめ

「襤褸を着ても心は錦」はやや古い言い回しですがひとりの大人として知っておくべき表現の一つです。

それほど難しい意味ではないのでこの機会にしっかり覚えておきましょう。

意味と使い方
意味解説辞典