この記事では、「辛抱」と「忍耐」の違いを分かりやすく説明していきます。
「辛抱」とは?
つらいことや苦しいことをこらえることです。
精神的・肉体的なつらさや苦しさを我慢することをいいます。
たとえば、車に乗っているときに急に尿意をもよおしたとします。
交通渋滞をしていて、すぐにトイレに行ける状況ではありません。
トイレに行きたい、でも行けない、漏れそうだというとき、精神的にも肉体的にもつらいことでしょう。
つらくても我慢しなければなりません。
こういったとき、子どもに対しては親が「もう少しの辛抱だから我慢しなさい」といったりすることがあります。
大人の場合だと「もうすぐトイレがあるから、それまでの辛抱だ」など思うことでしょう。
今度は山を登るときのことで考えてみます。
体力があまりない人にとっては、山頂まで登るのは体力的につらいです。
それでも、山頂からの眺めを楽しみたいため、登り切りたい気持ちがあります。
そういったとき、「もう少しの辛抱だ」と自分に言い聞かせながら登ることでしょう。
こういった、精神的・肉体的なつらさや苦しいことをこらえることを意味している言葉です。
「辛抱」の使い方
つらいことや苦しいことを我慢することについて使用をします。
体が受ける感覚や精神的なものを耐えることをいいます。
「忍耐」とは?
苦しいことや困難なことをじっと我慢することです。
精神的なつらさをこらえることをいいます。
子どもに勉強を教えるときのことで考えてみます。
この子は算数が苦手です。
丁寧に教えても、なかなかわかってくれません。
どんなに丁寧に教えてもわかってくれないので、教えることを放棄したくなってきました。
何度も繰り返し同じことを言ったり、こちらが示したことをわかってくれないと、精神的なつらさがあります。
しかし、ここで放棄してしまっては、子どもが勉強をできるようになりません。
そのため、つらくても我慢をして教え続けます。
この場合は、勉強を教えることに「忍耐」を必要としているといえます。
「忍耐」の使い方
精神的なつらさや困難をじっと我慢するという意味で使用をします。
肉体的なつらさには、あまり使用しません。
「辛抱」と「忍耐」の違い
どちらの言葉にも、つらいことを我慢するという意味合いがあります。
しかし、「つらいこと」が指すものに違いがあります。
前者の言葉は、肉体的・精神的なつらさを指しています。
一方、後者の言葉は、精神的なつらさを指しています。
「辛抱」の例文
・『もう少しの辛抱です』
・『辛抱ももうそろそろ限界です』
・『辛抱して待っている』
・『辛抱なんてできないよ』
「忍耐」の例文
・『忍耐を必要とする』
・『忍耐強く教える』
・『忍耐を強いられる』
・『忍耐のない人だ』
まとめ
2つの言葉は、つらいことや苦しいことを我慢するという意味を持っています。
違いは、つらいことが精神的なものなのか、肉体的なことなのかという点です。