この記事では、「鶏頭牛尾」の意味を分かりやすく説明していきます。
「鶏頭牛尾」とは?意味
鶏口となるも牛後となるなかれということわざを四字熟語にした「鶏口牛後」の誤用と考えられている言葉で、大きな団体の末端になるより、小さな団体のトップになるべきだという意味です。
牛後は肛門を指し、鶏口は鶏のくちばしを指す言葉で、牛の肛門より鶏のくちばしの役割の方が良いという事となっています。
鶏頭牛尾自体は誤用ですが極端な意味の間違いではなく、同じ意味の言葉と捉えることは可能です。
ただし誤用であるため辞書やインターネットでの検索ができません。
「鶏口牛後」の概要
鶏口牛後という言葉は考え方としてはあるものの、道徳的な考え方などではなく、誰もが従う概念ではないと言えるでしょう。
また、大企業の末端と中小企業のトップどちらかになれるというような選択の自由が必ずしもあるわけではありません。
実力者が弱い野球チームに入って活躍するのと強豪チームに入って埋もれるというケースでは鶏口牛後という言葉が使え、弱いチームでも活躍したほうが良いという考え方もあるでしょう。
ただし考え方の範囲ではあります。
鶏口牛後という言葉は商品やものに対しての考え方ではなく、組織や職業に対しての考え方と言えるでしょう。
そのため、車を選ぶという際に鶏口牛後で選ぶなどという言葉は今ひとつ当てはまりません。
言葉としての難しさと使うシチュエーションの少なさがあり、どちらかというと文章での方が使うケースが多いと言えるでしょう。
「鶏口牛後」の言葉の使い方や使われ方
「鶏口牛後の考え方で転職先を選ぼうかと考えている」「強豪校の野球部を見ると鶏口牛後で良かったかとも思う」などの使い方が挙げられ、組織の大小、それに対する自分の考えが入ることが使われ方の基本ということができます。
ただし収入の意味合いや安定性が含まれていない言葉でもあり、やりたいことが出来るということがポイントとなっています。
不況になってしまうとこの言葉は使いにくくなってしまうものといえます。
「鶏口牛後」の類語や言いかえ
鯛の尾より鰯の頭という言葉はほぼ同じ意味で、大きな集団に埋もれるよりは小さな集団の先頭でいたほうが良いという意味になります。
井の中の蛙大海を知らずは逆の意味の言葉ということもでき、どちらも一定の真実があるとは言えるでしょう。
まとめ
鶏頭牛尾は鶏の頭のような立ち位置のほうが牛の尾のような立ち位置よりも良いという意味であると考えられる、鶏口牛後、鶏口となるも牛後となるなかれという言葉の誤用と考えられる言葉です。
意味としては大きな集団に埋もれるよりは小さな集団の先頭でいたほうが良いということになりますが、鶏頭牛尾は誤用ではあるため使うべきではありません。
鶏口牛後は使うシチュエーションがかなり少ない言葉ではあり、考え方次第という部分もある言葉で、頻繁に使われるものとはいえないでしょう。