「同情作戦」
同情作戦とは「どうじょうさくせん」と読みます。
同情というのは他人の身の上になってその感情を共にすること、特に他の人の悲しみや不幸を自分のことのように思いやることを指しており、同情作戦というのは相手の同情を聞くことで相手を思い通りにしようとする作戦のことを指しています。
「同情作戦」の意味
同情作戦というのは自分を気の毒だと思わせることによって相手を納得させる方法であり、心理作戦の1つです。
恋愛においてもよく使われる手段であり、募金を集める時などにも使われることがあります。
例えば募金活動などで、第三世界で苦しむ子供たちの映像が流れ、募金をしてほしいと言うメッセージが出ますよね。
これも同情作戦の1つだといえます。
「同情作戦」の言葉の使い方
同情作戦というのは心理的な作戦で、よく恋人の間などで使われることがあります。
例えば誰かを好きになった場合、自分に関心を持ってもらうために同情を引くような話をしたり、買ってもらうために相手の同情を引いたり、という時に同情作戦が使われます。
ですからこのような状況を表すときに同情作戦という表現を使うことができるのです。
「同情作戦」を使った例文・短文(解釈)
それならば同情作戦とは一体どのような文脈で使われるのでしょうか。
ここでは同情作戦という言葉が使われている例文をいくつか紹介します。
「同情作戦」の例文1
「彼女はいきなり昔いじめられていた話や職場で上司からセクハラを受けていた話を始めた、どうやらあれは注目を集めるための同情作戦らしい」
飲み会などではやはり楽しい話題を提供してほしいですよね。
しかし自分に注目を集めるためにどうしても自分の辛い過去などを掘り返し、相手に聞かせる人は少なからず存在するものです。
自分に同情をしてもらい、関心を寄せてほしい、質問をしてほしい、もっと自分のことを知って欲しい、などという時にこの同情作戦が使われます。
主に女性が男性に対して使うことが多いと言われており、職場でパワハラを受けている、セクハラを受けている、などと女性が言い出すことも少なくありません。
「同情作戦」の例文2
「彼女はすぐに昔どれだけ両親が自分を愛してくれなかったかという話をするんだよね。 それがあからさまな同情作戦で本当に嫌になるよ」
誰かと話し合いをしようとした時、その人が「私は親に愛されていなかったから」「親は自分にそういうマナーを教えてくれなかったから」「自分はそういう生活をしてきたから」などと言って昔の辛い話をし始めた場合、どうしても聞くのが嫌になるということもあるのではないでしょうか。
例えばその人の言動を注意しているときに「私はこんな不幸な境遇で生まれ育ったから」などと言われてしまったら、それ以上何もいうことができなくなりますよね。
そのため同情作戦は卑怯だとも言われています。
「同情作戦」の例文3
「あ、あの上司に同情作戦は聞かないよ。 むしろ怒られるからやめておいた方が良い」
人によっては同情作戦をしようとしても聞く耳を持たない人もいます。
そもそも同情作戦はその時の問題には関係のない物事が出されることも多く、人によっては「だから何?」ということにもなりかねません。
大人は自分の言動に責任を持たなければならず、そもそも昔の自分がどうだった、家族がどうだった、などという事は自分の言動の言い訳にはならないのです。
ですから職場などでは同情作戦は使わない方が良いでしょう。
「同情作戦」の例文4
「彼女はかなり辛い子供時代を送ってみきたみたいだけど、そんなことは一言も言わないよ。 同情作戦とは思われたくないみたいだね」
どれだけ大変な生活をしてきたとしても、そのことを一言も口に出さない人も確かに存在します。
辛い事は思い出したくないということもありますが、中には過去の話をすることによって同情作戦のように思われてしまうのが嫌だ、という人もいるのです。
確かに誰しも過去の辛い話をするとそれに批判することができないため、例えば「自分はこんな辛い目に遭ってきた、だからこういう言動をしてしまう」などと言われるとそれ以上注意することができなくなります。
そのような待遇を受けたくないと考える人であれば、自分の不幸な境遇について人に教えたくないと思うものです。