この記事では、「見ると聞くとは大違い」の意味を分かりやすく説明していきます。
「見ると聞くとは大違い」とは?意味
「見ると聞くとは大違い」とは、話に聞いていたことと実際に見たものとでは大きな相違があることを意味する慣用句です。
実際に見てみると、人伝に聞いていたことや世間の評判と大きく違っていて期待を裏切られた場合に使うことが多い慣用句です。
「見ると聞くとは大違い」の概要
人は誰かから話を聞くと、自分でこうだろうとか、こんな状況だろうと想像します。
しかし、話しを聞いて想像していたことと、実際に見て確認したことでは、大きく違っている場合が少なくありません。
こうした時に「見ると聞くとは大違い」と言う慣用句を使用します。
これは、「見る」と「聞く」の順番を変えて、「聞くと見るでは大違い」と表現される事もあります。
「見ると聞くとは大違い」の言葉の使い方や使われ方
「見ると聞くとは大違い」は、『部下から建設現場の進捗状況が遅れ気味だと聞いていたけれど、実際に現場で確認すると、さらに状況は悪かった。
まさに見ると聞くとは大違いという状況です。』の様に使われます。
「見ると聞くとは大違い」の類語や言いかえ
「見ると聞くとは大違い」は、何かを実際に話して伝える事は、非常に難しく、大切な事は話しを聞いて済ませずに、誤った認識をしないために、自分の目で見る事の大切さを表現するものです。
こうした目で見て確認する事の大切さは、各国で同じような慣用句が色々と存在します。
中国の故事・ことわざで、日本でもよく使われる慣用句としては、「百聞は一見に如かず」がありますし、イギリスでは「一つの目は二つの耳より多くの真実を見出す」が使われ、ドイツでは「一人の目撃者は十人の耳証人にまさる」と使われ、またチェコでは「買い物に行くときは目を用い、耳を使うな」など、多くの国で同様のことわざや慣用句があるのです。
さらに類語として「聞いて極楽見て地獄」と言うのもよく耳にしますが、この慣用句は「見ると聞くとは大違い」とは少しニュアンスが違います。
「見ると聞くとは大違い」は、聞いて想像するより、実際に見て確認した方が正確な認識が出来る事を意味しますが、その違いの良し悪しについては特に限定していませんが、「聞いて極楽見て地獄」の方は、聞いていた事に対して実際が自分にとって都合が悪かったり、大変な事態であった場合に使う事が多いと言う点で、少しニュアンスが違うと言えます。
まとめ
「見ると聞くとは大違い」とは、話に聞いていたことと実際に見たものとでは大きな相違があることを意味する慣用句です。
これは聞いて想像する事は、実際に見て確認した事には、大きな違いがあるため、見て確認する事が非常に大切だと言う事を表現しています。
この類語としては、「百聞は一見に如かず」が最も知られており、むじろこちらの方が良く使われると言えるかも知れません。