この記事では、「邪推」と「憶測」の違いを分かりやすく説明していきます。
「邪推」とは?
他人の心の内を悪く推量することです。
自分に対して悪意を持っているであろうと疑うことです。
見当をつけることを意味しており、実際に他人が悪い考えを持っているとは限りません。
妻が出す食事のことで考えてみます。
夕食を作るのはいつも妻です。
夫は出されたものを食べるだけです。
あるときから、妻は夫が嫌いなものばかりを夕食に出すようになりました。
妻は夫が嫌いなものを知っているので、たまたま嫌いなものを作ってしまったのではありません。
このことについて夫は「もしかしたら自分への嫌がらせではないか」と思いました。
他人の心意に悪い見当をつけたのです。
こういった、他人の心に悪い見当をつけることを「邪推」といいます。
期待することやよい見当をつけることではありません。
また、「邪推」が意味するのは予想をすることなので、他人の心の内が自分の思っているものとは違う場合があります。
たとえば、先の例だと、妻が夫の嫌いなものばかり出したのは、健康のことを考えてかもしれません。
「邪推」の使い方
自分に悪意を持っていると疑うことを指して使用する言葉です。
善意があるだろうと思い込むことではありません。
「憶測」とは?
はっきりした根拠がなく、自分でかってに見当をつけることです。
その見当が好ましいものなのか、他人の悪意についてなのかという意味は含まれていません。
いつもより遅い時間、夜の12時くらいに子どもが帰宅するようになったとします。
そういったことが何日も続き、親は心配しました。
もしかしたら悪い人とかかわっているのではないか、つき合っている人ができたのではないか、親に内緒でアルバイトをはじめたのではないかなど、いろいろなことが考えられます。
しかし、これらの考えには、はっきりとした根拠はありません。
自分でかってに見当をつけているのです。
悪い人とかかわっているのではないかなどの考えは「憶測」になります。
「憶測」の使い方
はっきりした根拠がなく、自分でかってに見当をつけるという意味で使用をします。
その見当の内容がどういったものなのかは、意味に含まれていません。
「邪推」と「憶測」の違い
どちらの言葉にも見当をつけるという意味合いがありますが、見当をつけたものの内容に違いがあります。
前者の言葉が指すのは、悪い見当です。
他人が自分に対して悪意を持っていると疑うことを意味しています。
後者の言葉が指すのは、かってな見当です。
悪意を持っていると疑うという意味は含まれていません。
「邪推」の例文
・『邪推してしまう』
・『それは邪推だと思います』
・『邪推されていたようだ』
「憶測」の例文
・『いろいろな憶測が飛びかっている』
・『誰かと付き合っているという憶測が流れる』
・『自分で憶測をして、自分で腹を立てる』
まとめ
見当をつけるという意味合いを持つ2つの言葉ですが、見当の内容に違いがあります。