この記事では、「察する」と「推測する」の違いを分かりやすく説明していきます。
「察する」とは?
「察する」は、人間の気持ちという感情をくみ取ることでいわば思いやりです。
その為、「察する」は人間という生物のみにたいして、感情をくみ取り、その人物が落ち込んでいるのであれば、対象者を思いやることにあります。
なお、人間のみと記載していますが、これは思いやりの対象が人間であるという意味で、機械が調子が悪い場合、機外に対して思いやることを「察する」としてもよいのですが、元々の「察する」の意味が人間の実を対象としているため、あまりふさわしい言葉ではありません。
「推測する」とは?
「推測する」は、物事が恐らくこうであろうと予測することにあり、表面上の裏で何かが起きていることを予測することを「推測する」と呼びます。
例を挙げれば、彼氏の様子がおかしい、表面上様子がおかしいということから裏で起きていることを予測した場合、浮気ではないかと考えることが「推測する」です。
なお「推測する」は相手の心情が分かっていないと推測にならずただの予測になるため、上記の彼氏の問題は、女性側が彼氏の心情を把握しているが故、こうだと言い切れるのです。
「察する」と「推測する」の違い
「察する」と「推測する」の違いは思いやりがあるか、無いかです。
「察する」は思いやりで思いやる行動を対象者の落ち込み具合から推測して考えます。
一方、「推測する」は、相手の考えを理解したうえで、こうだろうと言いのけることで言ってしまえば悪いことを言い当てるのも「推測する」です。
「察する」の例文
・『お気持ちは察するが会社を首になるのは当然である』
この例は対象を思いやりはしているが、会社を首になる理由については君が悪いと言ってのけており、同情と責任は別だという例です。
「察する」は気持ちを理解することと、思いやることですが、対象が悪いことをしている場合、それは別に考えますのでこの例は、対象が悪いことをしており別のこととしてとらえ処分をしています。
「推測する」の例文
・『私が推測するに君は借金から会社の資金を着服した』
この例は、対象の心情を理解したうえで、対象は、借金という物が理由で会社の金を着服したことを述べています。
「推測する」は、だろうという言い切りの推理で根拠がありかつ相手の心情が分かっているが故成立します。
まとめ
「察する」と「推測する」の違いは、同情が入り相手に配慮しているかどうかです。
「察する」はいわば同情で相手に配慮しますが、問題行動を起こしたものの場合、それはそれ、これはこれという具合に問題を対処します。
「推測する」は別に同情する必要性はなく、相手の心情を掴み相手の起こした行動に対し事実になることを予想して言えばよいので両者は同情する余地があるか無いかであると言えるのです。
なお、同情したところで相手側が犯罪者である場合容赦する必要性は、両者の言葉を使用していてもありません。