この記事では、「〇〇みを感じる」の意味を分かりやすく説明していきます。
「〇〇みを感じる」とは?意味
「〇〇みを感じる」は、○○に入る言葉を断言せずにぼやかすことで周囲に同調してもらうことを図る言葉です。
例えば、「山田さんという人物は優しい」と断言すれば、周囲は優しくないよと反発する人物が生まれますが、この時、「山田さんという人物は優しみを感じる」といえば、まだ同調してくれる人物が生まれるというのが、この言葉です。
○○みということで○○の部分をあえてぼかすことで万が一○○の部分がそうではないと反対されても自分に向けられるダメージを最小限に使用とするのがこの、「〇〇みを感じる」になります。
「〇〇みを感じる」の概要
「〇〇みを感じる」は、いわば日本人の根本的な思考で断言した場合、反発をされた際に自分に向けられるのは批判の声で要はこのダメージをどうするかというのが「〇〇みを感じる」です。
「〇〇みを感じる」は○○という対象がどうであるということを述べたうえで違うよ、と言われた際の批判をうまくかわすことができる言葉でみと言っておけばかもしれないという形で対象が違うのではないかと批判を受けても、かもしれないというお話だよと言って切り抜けることが可能で要は自分を批判されないよう逃げ道を作っている言葉になります。
「〇〇みを感じる」の言葉の使い方や使われ方
「〇〇みを感じる」は、逃げ道を作ったうえで、○○という物がそうあるように感じるという場合に使用します。
要は、「〇〇みを感じる」は、逃げ腰の○○を断言する言葉です。
「〇〇みを感じる」を使った例文
・『〇〇みを感じるという言葉は単なる逃げ腰の同調でしかない』
この例は、「〇〇みを感じる」という言葉の本質は、○○という部分に対して同調を求めているが否定されることが嫌なのでみという言葉を使用して逃げ腰で同調を求めているという例です。
逃げ腰であるが故、○○という部分が周囲から違うのではないかと言われても、そう思うというだけだからという風に逃げ切ることができる便利な言葉であるというのがこの例になります。
まとめ
「〇〇みを感じる」は、若者が作り出した言葉で、信念がない言葉になります。
というのも、「優しみを感じる」は一見すると優しさがあると言っていますが、みという言葉が優しいという言葉をぼやかしているため絶対ではない意味になり、違うよと言われてもそうだねと言えばそれで通用してしまうのです。
これを逃げ腰の同調と呼び、周囲がそうだねと言えばそれでよし、言わなくとも自分はそう思っただけだからや例え場のお話だからと切り出せば逃げ切ることができますので、話を切り出した側は、攻撃を受けることはありません。
「〇〇みを感じる」は、利点においては批判をそらすことができる言い切りではない逃げ腰の同調なので同町に失敗しても許されるため、今の若い世代の方々は、同調するにおいて批判されることを嫌うということです。