「求道者」とは?意味や使い方を解説

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意味と使い方
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「求道者」

この「求道者」「きゅうどうしゃ」「ぐどうしゃ」という2つの読み方があります。

どちらでも間違いではありませんが、前者の方が一般的で、こちらでないと漢字への変換ができないことも多いです。

色々な宗教でも使われる言葉で、特にキリスト教では、それについて学び始めた人をこの「求道者」と表現し、正式な用語として使われています。

この場合に限り、決まって「きゅうどうしゃ」という読み方になります。

尚、仏教では「ぐどうしゃ」と読むのが普通とされており、宗教以外で使う場合にはどちらで読んでも構いません。

「求道者」の意味

求道者とは、「その道を探求する者」という意味の言葉です。

ここでの「道」は、様々な仕事の職種やスポーツの競技、勉学の教科など多種に及び、それについて学んでいる途中だという状態の人をこのように呼びます。

また、世間から見れば充分にその道の達人(かなり学び尽くしている、マスタークラス)だと思われる存在であっても、本人はまだこの「求道者」の段階だと称することがあり、その場合には志の高さの証明だと考えていいでしょう。

「求道者」の言葉の使い方

求道者という言葉を使うのは、自分が何かの道(仕事や学んでいる分野)のそれだと表現する時や、誰かが何かのそれだと使う場合などです。

この言葉は、「まだ道半ば(なかば)」という状態を指すことになるので、自らに使う時はいいですが、人に対して使う場合には注意してください。

本人がもうその段階ではないと思っていた時には、とても失礼になってしまいます。

「求道者」を使った例文・短文(解釈)

求道者を使った例文や短文です。

先のキリスト教においての使い方も含めて挙げていきます。

「求道者」の例文1

「あの人は自分で剣道の求道者だと言っていた」

剣道は競技名に「道」と付いているように、競技自体が道そのもので、その鍛錬を続けること自体が「求道」だと表現していいでしょう。

同じように柔道や古武道などの「道」が付いている競技はどれも、どれだけ追求しようと(達人と呼ばれるような段階まで到達しようと)終わりがないと言われています。

よって、大会で何度優勝しようと、表現的には永遠に「求道者」のままなのかも知れません。

「求道者」の例文2

「自分では随分と学んだつもりだが、一から求道者として学び直すことにした」

ある程度までその道を学んできたが、初心に返って学び直すと言っています。

「求道者」としてという表現を使っていることから、既にそれなりの所まで学んでいたものと思われます。

特に途中で何かに行き詰ってしまった場合などには、このように一から学び直すこともとても大切だと言えるでしょう。

「求道者」の例文3

「将棋で永世七冠というかつてない大偉業を達成した羽生棋士でさえ、自分はまだ求道者だと表現していた」

前述した本人の志の高さが分かる例になります。

既に永世名人や永世竜王という将棋界で最高の称号を獲得していながら、まだ道半ばだと言っているのはすごいことです。

これからの益々の活躍を期待して止みません。

「求道者」の例文4

「洗礼を受けて、ようやく正教徒になることができた」

キリスト教では、教典である聖書の学びを開始した段階で「求道者」と呼ばれることになります。

聖職者(カトリックでは神父、プロテスタントでは牧師)から充分にその学びが達成されたと判断されると、それぞれから「洗礼」を受けることができます(求道者のままで居たい場合には受けなくても構いません)。

この洗礼とは、正式にキリスト教徒(正教徒)となる儀式です。

他の宗教でも同じような経緯を辿り、晴れて正式な教徒となれる場合が多いです。

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