この記事では、「いじめ」と「ハブられる」の違いを分かりやすく説明していきます。
「いじめ」とは?
「いじめ」とは、わざと弱い相手に物理的・精神的な苦痛を与える陰湿な行為のことです。
「いじめ」はさまざまな世代、人間関係において起こっていますが、日本では1980年代から学校内で多発する「いじめ」が増加し、社会的な問題に発展しています。
文部科学省は「人間関係を持つ相手に対し、物理的・心理的な影響を与えて、心身に深刻な苦痛を与えること」と定義しています。
また、校内の「いじめ」に関しては、学校の対処法を定めた「いじめ防止対策推進法」を制定し、いじめの予防に力を入れています。
校内の「いじめ」の場合、悪口、からかい、嫌がらせが最も多く、暴力のようにいじめとはっきり分かる攻撃はそれほど多くはありません。
冷やかし、無視、SNSによる悪口と言った陰湿な嫌がらせも増えており、教師が「いじめ」と見抜けないケースも出てきています。
いじられている、ふざけている、と見える行為は、仲が良い友達同士が遊んでいるようにも見えますが、被害を受けている側は苦痛を感じていることも多く「いじめ」と呼べるケースも少なくありません。
「いじめ」を受ける子どもは心身の不調、不登校を併発することが多く、自ら命を絶つ事例も出ています。
「いじめ」は犯罪行為であり、決して許されることではないのです。
「ハブられる」とは?
「ハブられる」とは、のけ者にされる、周りから避けられることを意味する俗語。
若者言葉「ハブる」の受け身です。
「ハブる」の語源は「省く」「村八分」【むらはちぶ】「はぶにする」にあるといわれています。
「省く」は邪魔なものを取り除くこと、「村八分」ははちぶ(葬式、火事)以外は村民全員から絶交されること、「はぶにする」は名古屋や関西で使われる、村八分と同じ意味を持つ言い回しです。
「ハブられる」は、これらの言葉が持つ意味のように、属するコミュニティの中でひとり無視されることを指しています。
具体的に「ハブられる」とは、学校、会社、近所のような身近なコミュニティにおいて、ある人が全員から一斉に避けられる、話しかけられない、無視される、といった態度をとられることを指します。
嫌がらせでハブることもあれば、ハブられる側が悪い場合もあり、「ハブられる」きっかけはさまざまです。
言動が鼻につく、協調性がない、ルールを守らない、といった理由で、仲間として認めたくない心理からのけ者にされることも多くなっています。
ちなみに「ハブる」は現在の40~50代が学生の頃にも知っていた古い言葉です。
流行することも死語になることもなく、現在でも細々と使われ続けています。
「いじめ」と「ハブられる」の違い
「いじめ」と「ハブられる」の違いを、分かりやすく解説します。
「いじめ」は相手に物理的・精神的な攻撃をして苦痛を与える陰湿な行為です。
「ハブられる」とは、コミュティの中で仲間外れにされることで、暴力や悪口などの攻撃を直接受けることはありません。
「ハブられる」側に落ち度があれば、単に避けられているだけということになりますが、ハブられた人が精神的な苦痛を感じれば、それは「いじめ」を受けているのと同じ状態になるのです。
まとめ
「いじめ」と「ハブられる」は、人の集まるコミュニティでどうしても起きやすい現象です。
ちなみに「いじめ」はれっきとした犯罪行為です。
「ハブられる」はややマイナーな言葉ですが「村八分のような目にあう」「仲間外れにされる」と覚えておくとわかりやすいでしょう。