「九死に一生を得る」とは?意味や使い方を解説

ことわざ・慣用句

「九死に一生を得る」

「九死に一生を得る」「きゅうしにいっしょうをえる」と読みます。

こういった体験をした人の話は雑誌やテレビで取り上げられることもあり、小説や映画の題材になることもあります。

それだけ稀な、奇跡的な体験で、多くの人に驚きを与えるものです。

九死に一生を得た話を聞くと、当事者でなくても「良かったね」と、胸を撫でおろさずにはいられません。

「九死に一生を得る」の意味

「九死に一生を得る」とは、「命を落としそうなところで奇跡的に助かる」「危ういところでかろうじて助かる」ということを意味する言葉です。

「九死」というのは、「十のうち九までの死」という意味で、「ほとんど死が避けられないような危険な場合」を表しています。

九割の死を覆して助かるということは、奇跡以外の何ものでもないでしょう。

「九死に一生を得る」の言葉の使い方

「九死に一生を得る」という言葉は、絶体絶命の状況で奇跡的に助かったことを表す時に使います。

山で落石に遭い、あと10センチずれていたら確実に命を落としていた、雪崩に襲われたが奇跡的に助かった、というようなさまを表現する時に「九死に一生を得た」と使います。

「九死を出でて一生を得る(きゅうしをいでていっしょうをえる)」と表現されることもあり、又、同じ意味の言葉に「万死に一生を得る(ばんしにいっしょうをえる)」があります。

「九死に一生を得る」を使った例文・短文(解釈)

「九死に一生を得る」の意味と使い方がわかりましたので、ここではこの言葉を使った例文をご紹介しましょう。

「九死に一生を得る」の例文1

「道路沿いを歩いていたら大型トラックがスリップしてこちらに向かってきました。幸い壁の隙間に逃げ込むことができ、九死に一生を得たのです」

大型トラックに激突されれば即死していたであろう状況で、壁の隙間に逃げ込むことができ難を逃れたというのは、幸運であったのは間違いありませんが、そんな緊迫した状況でも機転を利かせて逃げ込める隙間を見つけられたということが、生死を分ける大きなポイントになっているといえるでしょう。

「九死に一生を得る」の例文2

「山で遭難して食糧も尽き、もうだめだと諦めかけた時に、たまたま通りがかった取材ヘリに発見され、九死に一生を得ました」

たまたま取材ヘリが通りがかるという幸運により、命拾いしたということで、これは運が良かったとしか言いようがありません。

誰にも発見されず、命を落とす確率の方が遥かに高かったはずです。

色々な偶然が重なり、このような奇跡が起こるのでしょう。

「九死に一生を得る」の例文3

「君はいつも運が良いから、なにがあっても九死に一生を得そうだね」

なにかと運が良い人というのはいるもので、そういう人は、日頃からその恩恵を受けています。

周りから見ても運が良いことが分かるほどということは、相当な強運の持ち主なのでしょう。

大事故や大災害に巻き込まれても、幸運が重なって助かる、又は、そういった災難には巻き込まれないような運を持っているのでしょう。

大震災の前日に引っ越していたため難を逃れた人や、旅行が中止になっていなかったら、墜落した飛行機に乗っているところだったという人は実在するのです。

「九死に一生を得る」の例文4

「航空機の墜落事故に遭い、多くの犠牲者が出た中で、私は九死に一生を得ました」

多数の犠牲者を出した事故でも、助かる人は稀にいます。

事故当時に居た場所がたまたま良かった、持っていたカバンが身を守ってくれた、飛んできた破片に守られた、など、様々な良い条件が重なって、奇跡的に生還できたのでしょう。

偶然が重なることで、幸運にも命拾いできた人は、犠牲になった多くの人びとの分まで頑張らなくては、という使命感が芽生えるものなのでしょう。