この記事では、「俳諧」と「俳句」の違いを分かりやすく説明していきます。
「俳諧」とは?
「俳諧」とは、江戸時代に栄えた日本文学の形式や作品の事を指し、「誹諧」とも言います。
正しくは「俳諧の連歌」や「俳諧連歌」と呼んで、遊戯性を高めた発句や連句といった形式の総称です。
「連歌」とは二人以上で詠み合う、上の句と下の句を次々に繋げていく文芸でしたが、「俳諧」は滑稽のあるという意味で、使用できる言葉に制限があった連歌を一般にも詠めるよう制約を緩めたものを言います。
「俳諧」に関わる専門的な人の事を「俳諧師」と呼び、江戸時代では専業で「俳諧」をしていた人が「俳諧師」と呼ばれ、趣味とした「俳諧」を楽しむ人は「遊諧」と呼ばれていました 戦国時代の俳諧師、山崎宗鑑が俳諧連歌集の初めとされた『犬筑波集(俳諧之連歌抄)』を編纂しました。
江戸時代になると、学習意欲の向上などで庶民の文化が向上し「俳諧」は人気となっていきます。
明治時代になると、正岡子規らにより短詩文化の革新を唱えられた事で、これ以降は「俳諧」の発句の部分が後述する「俳句」と呼ばれるようになり、伝統的な「俳諧」は連句と呼ばれるようになりました。
「俳諧」は、様々な形式があり発句や連句はもちろんの事、漢詩型式の和詩や仮名詩なども含まれます。
「俳句」とは?
「俳句」とは、季節の言葉である「季語」を含んだ「五・七・五」の定型文を基本とした詩です。
俳句を詠む人の事は「俳人」と呼びます。
江戸時代には十七文字と言われ、現代では十七音とも表記されます。
季語を含まない「無季俳句」、五・七・五の形や季語に捕らわれず、感情の赴くままに作られる「自由律俳句」などもあります。
外国語でも「俳句」は作られていますが、外国語での季語の表現の方法や五・七・五での収まる単語なども多いため、先ほどの「自由律俳句」である場合が多いです。
「俳諧」と「俳句」の違い
「俳句」という文芸は現代においては非常に有名な文芸ですが、それ歴史は明治時代以降です。
「俳句」とは五・七・五と言う限られた文字数で季語を含み、色々な心情や自然の美しさなどを表現したものです。
一方「俳諧」の連歌は、連句が中心で詠まれていました。
「俳諧」は二人以上で行われる、連歌を交互に詠んでいくという違いがあります。
江戸時代末期から明治時代にかけて、連歌の一番初めに詠まれる季語と切れ字を必ずいれなければならない「発句」のみが独立したものを、正岡子規らによって「俳句」と名付けられたのです。
まとめ
「俳句」は日常的に聞く日本の有名な文芸のひとつですが、「俳諧」は「俳句」の元となっています。
連歌と呼ばれる貴族の遊びだった文芸が、滑稽的な表現となり一般に浸透したものが「俳諧」と呼ばれ、後に「俳諧」の一句と言う意味で「発句」と呼び、松岡子規らが短詩文学の革新を唱えたことで、「発句」が新しい名称として「俳句」が生まれたという事になります。