「傾倒」とは?
「傾倒」(けいとう)とは、「何かに心を惹かれて夢中になる」ことです。
その対象は、人物や団体のこともあれば、競技などの場合もあります。
例えば、野球に夢中になっている様子を「野球に傾倒している」と表現することができます。
また、この「傾倒」という漢字は、「傾」く(かたむく)と「倒」れる(たおれる)という言葉からできていますが、それらの言葉の通り、単に「傾いて倒れる」という意味もある言葉です。
しかし、こちらの意味で使うことは一般ではほとんどなく、先の「夢中になる」という意味で覚えておけばいいでしょう。
「心酔」とは?
「心酔」(しんすい)は、「何かに心を奪われて夢中になる」ことです。
このように書くと、「傾倒」と全く一緒だと思われるかも知れませんが、こちらの「心酔」は、心を「奪われる」ことだという点に違いがあります。
上で挙げた野球の例のように、「傾倒」は、自らそれに夢中になるという意味で使いますが、「心酔」の方は、自らの意志ではないという点がその違いです。
最初のきっかけは自分の意志だったとしても、その後、いつの間にか夢中になっていたような場合に使われることが多いです。
「陶酔」とは?
「陶酔」(とうすい)という言葉は、「何かに心を奪われて酔っているような気分になってしまう」ことの表現です。
上の2つの言葉が「夢中になる」という意味なのに対して、こちらは、同じ心を奪われるという意味こそありますが、思わずうっとりとしてしまう様子だと解釈してください。
「傾倒」と「心酔」は、似た意味で使うことも多い言葉同士ですが、この「陶酔」は、それらとは意味が異なります。
具体的な使い方の違いは、以下で詳しく紹介します。
「傾倒」と「心酔」の違い
この「傾倒」と「心酔」は、先にも書いたように、よく似た意味をもっています。
意味の違いについては前述した通りですが、使い方が異なり、「傾倒」は、「傾倒する」、「傾倒しているようだ」などと、「自らそれを行っている」という使い方になる言葉です。
「心酔」は、「心酔される」という形でも使える言葉で、「すっかり心酔された」と使うと、すっかりそれに心を奪われてしまったという意味になります。
つまり、受け身の表現でも使える言葉だということです。
このような場合には、上で書いたように、自らの意志よりも、いつの間にか(自分でも気付かないうちに)そうなっていたということになります。
「傾倒」と「陶酔」の違い
「傾倒」は、すっかり夢中になってしまうことですが、「陶酔」の酔っているような気分は、あくまで一時的なものです。
具体的にそれくらいの時間や日数だという定義はありませんが、そんなに長い間を指して使う言葉ではなく、「一時的に熱狂的にハマる」ことだと考えてください。
「いつの間にかに陶酔していたようだ」と言った場合、その状態にあったものの、そうだったと気付いている為、今はもうそうではないと解釈していいでしょう。
「心酔」と「陶酔」の違い
「心酔」と「陶酔」も、上の「傾倒」と「陶酔」の違いとあまり変わりません。
自らの意志ではないとしても、「心酔」と使われる状態は、決して短くない間だと考えていいでしょう。
「陶酔」も、同じ「酔」という「酔った」状態の漢字を使う言葉ですが、こちらは「ひと時の酔い」と表現していいでしょう。
「素晴らしい演奏に、しばし陶酔していた」などという形で使われることが多く、自分が素晴らしいことを言った(と思っている)ような時には、「自分に陶酔してしまった」といった使い方も可能です。
ですが、あまり人前ではそのようには使わない方がいいでしょう。