この記事では、「天才」と「非凡」の違いを分かりやすく説明していきます。
「天才」とは?
「天才」【てんさい】とは、生まれながらに並外れて優れた才能を持つ人のこと。
ある分野において優れた才能を発揮する人を「○○の天才」と呼んでたたえることもあります。
「天才」の明確な定義はなく、一般には本人の努力とは関係なく優れた業績を示した人、同年代と比べ能力が突出して優れている子どもや若者がそう呼ばれています。
漢字の「天」は自然、天然という意味を持ち、「才」は能力の優れた人という意味を持ちます。
つまり「天才」は、自分で努力して能力を高めた人ではなく、生まれながらに優れた才能を持っている人になるのです。
「天才」と呼ばれる人には発明家、音楽家、芸術家など各分野で成功をおさめた著名人が多く、傾向としては独自の価値観を持ち、幼少の頃から変わり者と扱われてきた人もしばしばみられます。
類語には「秀才」【しゅうさい】があり「天才」と混同されがちですが、意味は異なります。
「秀才」は、努力をして学業で優れた成績を修めている人です。
ときに、成績がよい生徒が「天才」と呼ばれることもありますが、これは間違いです。
どちらかというと、特に勉強をしなくてもよい成績が取れてしまう人、あるいは、特定の分野の才能は突出していても学業には興味がないため成績は良くない人などが「天才」に多くみられます。
ただし「天才」なら、努力をしなくても何でもできてしまうわけではありません。
得意分野になると集中力を発し、天性の才能と並みならぬ努力によって優れた功績を残します。
これが天才特有の才能といえるのでしょう。
「非凡」とは?
「非凡」【ひぼん】とは、平凡ではないこと、人とは違うこと、または人並外れて優れていることです。
漢字の「非」は「~ではない」という意味を持ち「凡」はありふれている、普通という意味を持ちます。
「非」と「凡」が組み合わされることで、普通のレベルとは違う優れた人を表しています。
どれくらいのレベルを「非凡」というのか、明確な定義はありません。
一般には、ある分野において突出した才能を発揮し、その様子が目立っている場合に「非凡」という表現が使われます。
また、価値観や生きざまが独特で周囲から浮いて見える人を、「人とは違う」という意味で「非凡」と称することがあります。
「天才」と「非凡」の違い
「天才」と「非凡」の違いを、分かりやすく解説します。
どちらも人より能力の優れている人を表す言葉ですが、ニュアンスは異なります。
「天才」は生まれながらに優れた能力を持っている人、「非凡」は人と違っていること、優れていることです。
「天才」は同時に「非凡」でもありますが、「非凡」な人が「天才」であるとは限りません。
「天才」になるには生まれ持った才能やセンスが必要だからです。
「非凡」は普通のレベルよりも優れた能力を発揮している人で、特に「天才」ではなくても努力をすれば「非凡」になることができます。
まとめ
「天才」「非凡」は能力や実績が優れた人を表す言葉ですが、はっきりした定義がなく、意味は混同されがちです。
漢字「天」「才」と「非」「凡」の持つ意味をひもとくと、両者の違いがわかりやすいのではないでしょうか。