この記事では、「思惑」と「意図」の違いを分かりやすく説明していきます。
「思惑」とは?
「思惑」は、物事がこうなのか、ああなのかと悩み考える様です。
その為、「思惑」は思考することが前提で考え自体がまとまっていては「思惑」ではありません。
逆に、考えが既に存在しており、おおよそこうするべき、ああするべきという答えが出ていれば、「意図」です。
「意図」とは?
「意図」は、ああするべきやするべきと考えに至ることで、考えた末の結果を意味します。
その為、「意図しない出来事」というのは考えもしなかった出来事という解釈になるのです。
そして、「意図的」というのは、ああするべきやこうするべきという考えがあって行動することで、考えが無い場合、それは単なる「思惑」でしかありません。
「思惑」と「意図」の違い
「思惑」と「意図」の違いは考えを持ち行動するに際して疑問を持ち行動するか疑問や悩みを持たずに実行に移すかです。
「思惑」は自分の考えや行動に関して疑問があることで、「意図」は明確に自分の行動について考えがあります。
「思惑」の例文
・『相手の思惑が分からない』
この例は、相手の行動に関する考えが理解できないという例です。
「思惑」は、考え方について疑問を持つことで対象者を選べば、自分以外の対象の行動に関しての考えが分からないという意味になります。
・『こちらを仲違いさせる思惑か?』
この例は、対象となる者が、仲を引き裂くことを重要としているのかと疑問を持っている例です。
「思惑」は疑問を持つことであるため、この例では仲違いを指せることが狙いであると言いきれていません。
「意図」の例文
・『意図しない結末』
この例は、自分が思い描いた考えや行動した結果に反した結末を迎えたという例です。
「意図」は考えがあり行動した結果や考えそのものを意味しますが、そうした物があっても予測できない事態に陥ったのが「意図」になります。
・『あちらの意図は、こちらの自滅だ』
この例は、相手の考えを理解しており、相手側はこちらの自滅を狙っているという例です。
「意図」は、そうあるべきやそうなるだろうなという結末に関して自信があることであるため、この例は自信をもって自滅を相手側が狙っていると予測しています。
まとめ
「思惑」と「意図」の違いは、対象となる者が自信をもってそうであると言い切れるか、言いきれないかです。
「思惑」は考えに疑問があるが故、言い切ることではありません。
ですが、「意図」は相手の考えや自分の考えが読み解けるため、行動においては自信を持って行動することが可能です。
その為、あちらの「意図」やあちらの「思惑」という言葉であれば、「意図」は完全に相手の考えを予測しており、「思惑」は疑問が残る結論を持っています。
無論両者ともに予測が外れることがありますので、予測が外れた場合、「意図しない」や「思惑」が外れるなど予想が外れてしまったことを伝えます。