この記事では、「暗い」と「昏い」の違いを分かりやすく説明していきます。
「暗い」とは?
「暗い」は周囲が暗くてよく見えないさまで、光が差しません。
その為、自分の手や足などが見えなければ「暗い」と言えます。
その上で、「冥い」という言葉は、光が差しても光があることを確認できるかもしれないという暗がりで周囲が真っ暗であることです。
つまり、「冥い」は光という存在があってもあまり周囲を確認できません。
これをさらに闇が深くなると「闇い」となり、こうなると光の存在ですら打ち消され、何も見えません。
何かが存在しても、それすら感じ取ることができません。
「昏い」とは?
「昏い」は光が差し込んではいるが、周囲の様子があまりはっきりとせず、暗がりな様子です。
光がある分、真っ暗ではないため、自分の手足などは十分確認できる明るさにあるのが「昏い」になります。
「暗い」と「昏い」の違い
「暗い」と「暗い」の違いは、若干ながら手足を確認することが可能な明るさがある闇であるか、そうではないかです。
「暗い」は手足の確認が難しく、光があれば確認できますが、それを超えた闇である、「闇い」においては明かりがあっても無力で、その明るさを打ち消すのが「闇い」です。
一方「昏い」は明るさがありますので手足の確認は可能で、周囲も明るいのでまだ、周囲は闇で満ちていません。
「暗い」の例文
・『暗い青春時代』
この例は、闇で満ちている青春時代だったという例になります。
明るさがあっても闇が勝つのが暗いであるため、希望のような物が見いだせなかったという表現に当たります。
「昏い」の例文
・『昏い気分になる』
この例は、前向きではなく後ろ向きな気分にあることを意味します。
これは一種の例えで、周囲があまり明るくない様子を気分という物に当てはめて今の状態を示しているのです。
このように「昏い」という言葉は組み合わせによっては上体を示すということから、周囲の状態ではなく自己の置かれている状態を指すことが可能です。
まとめ
「暗い」と「昏い」の違いは、周囲にまだ明るさという余裕があるかどうかにあります。
「昏い」はまだ周囲の明るさに余裕がありますので、希望があるような意味を持たせることが可能ですが、「暗い」となりますと周囲が真っ暗である様子なので希望があるような表現ではなくなります。
そして更なる闇を求めると最終的には、「闇い」という言葉が最終的な深淵になり、この表現を用いるともはや、光が差す希望があってもそれがかき消されてしまうため、希望すら完全にない状態を意味するのです。
なお、真っ暗な中光を通さないことがあり得るかですが、光を通さない黒色という物は存在しており、例えば、ビニールの黒色のテープは光をさえぎるため、光を通さない闇を作ることは原理上可能で、真っ暗の中、光が通らない、見えないということは何かで覆うことであり得るため、地球を暗がりにすることは原理上では可能で、地球を何かで覆えば深淵を作り出し、光が通らない環境を構築できます。