この記事では、「有頂天」の意味を分かりやすく説明していきます。
「有頂天」とは?意味
仏教の世界観のひとつで、天上界における最高の天を指し、形ある世界の頂という意味もあります。
転じて得意の絶頂である様という意味、我を忘れてしまうほどの喜びや物事に非常に熱中して夢中になることという意味もあります。
基本的には非常にポジティブな意味合いですが、傍から見て有頂天になっているという言い方はやや咎める意味合いがあり、絶頂的な喜びを背景にして視野が狭くなっている、周りに気を使っていないなど、調子に乗っていることという意味合いになることもあります。
「有頂天」の概要
仏教用語の有頂天の時点で世界の頂点に登り詰め、頂点を極めるという意味合いがありますが、ここで珍しいのは厳しいことに耐え抜いてきたという意味合いではなく、喜びの絶頂にある状態に転じているところと言えるでしょう。
最上級、絶頂という意味合いが含まれていることから飲食店の名前に使われているケースもいくつか見られ、味で有頂天にさせるという意気込みが含まれています。
一般の人で有頂天になるというケースでは受験や面接で合格を勝ち得る、贔屓のスポーツチームなどが優勝することなどが挙げられます。
ただし、「あの時は喜びの絶頂だった」と「あの時は有頂天になっていた」ではニュアンスが異なっており、有頂天になっていたという方では周りがよく見えなくなっていた、天狗になっていた的な意味合いが含まれており、振り返ってみればやや後悔しているケースもあります。
ただし嬉しいことが会った直近の有頂天という言葉では喜びの絶頂という意味だけが含まれていると考えても良いでしょう。
なお、物凄く有頂天だったなどの強調した使い方は意味は通りますが、もともとの言葉が頂点に登りつめたという意味合いのため、言葉としては正しくありません。
「有頂天」の言葉の使い方や使われ方
「試験に受かったので有頂天になった」「抽選に当選したので有頂天」「有頂天なことが続く」「なかなか有頂天になることはない」などの使い方では有頂天はポジティブな意味合いが強くなります。
「失礼なことを言ってしまったり、あの時は有頂天だった」という使い方はややネガティブさが出ていますが、有頂天になった出来事がネガティブというわけではなく、喜びに舞い上がってしまって他の人に迷惑をかけたというようなネガティブさが見られます。
「有頂天」の類語や言いかえ
「喜びに我を忘れる」「喜びに舞い上がる」「喜びの絶頂にある」「これ以上ない喜び」などが挙げられ、「喜びで周りが見えなくなる」という言い換えではネガティブさが含まれています。
まとめ
有頂天という言葉は極めてポジティブな状態にある言葉で、それ故に調子に乗ってしまうという意味合いもありますが、それは個人の問題であり、縁起の悪い言葉ではないため店名や作品名などに使われているケースも見られます。