この記事では、「針の筵に座る」の意味を分かりやすく説明していきます。
大きな失敗をした人などが使う言葉である、「針の筵に座る」には、どのような意味があるでしょうか。
「針の筵に座る」とは?意味
「針の筵に座る」という言葉にはどのような意味があるでしょうか。
「針の筵に座る」の「筵」は「むしろ」と読みます。
「筵」は竹などを編んで作った敷物で、「敷物全般」の意味があります。
「針の筵」には「針をうえた敷物」となるため、当然ですが座ると血が出て怪我をしますし、とても痛いでしょう。
このようなことから、「針の筵」には、「つらい場所」「居心地の悪い場所」または、「つらい境遇」などという意味があります。
これらを踏まえて「針の筵に座る」には、「気が休まらないような場所や境遇に、実を置くこと」を意味します。
「針の筵に座る」の概要
「針の筵に座る」という言葉は、比喩表現になります。
実際に「針の筵に座る」わけではなく、「そのような心持ちになる」という表現になります。
また「針の筵」という言葉 にふさわしい場面として、「冷たい視線を浴びるような場面」があります。
具体的には、「冷遇されている職場」や、「非難を浴びる場所」などがあります。
例えば、仕事で大きなミスをした人が、次の日に職場に行くとき、職場では上司から叱責されたり、同僚から冷たい視線を浴びることが想像できます。
このような職場は「針の筵」と表現でき、職場に行き仕事をするとき、「針の筵に座る」と表現できます。
「針の筵に座る」の言葉の使い方や使われ方
「針の筵に座る」という言葉は、心が休まらないと感じられる場所や、苦痛を感じるような境遇にいる人が使う言葉になります。
例えば、浮気をしたことがばれてしまい、結婚相手がとても怒っているとき、自宅は「針の筵」になります。
会社帰りに家に帰り、結婚相手の非難を浴びながら過ごす時間が待っているとき、「家に帰っても、針の筵に座るようなものだ」などと愚痴を言ったりするかもしれません。
また、パーティが苦手な人が、誰も知っている人がいないパーティに出席しなければならない場合、「誰も知らない人しかいないパーティに出席するなんて、針の筵に座る思いだ」などという言い回しをすることができます。
「針の筵に座る」の類語や言いかえ
「針の筵に座る」の類語として、「身の置き所がない」という言葉があります。
「身の置き所がない」は、まさに「居場所がない」という意味があり、心が休まるような居場所がない、居心地がいいと感じられる場所がないなどという意味があります。
「針の筵に座る」とよく似ていますが、「身の置き所がない」と表現するときの方が、少しだけ居心地がいいかもしれません。
まとめ
「針の筵に座る」という言葉についてみてきました。
心が休まることのない、苦痛な場所に行かなければいけないときなどに、「針の筵に座る」という言葉を使ってみてはいかがでしょうか。