この記事では、「黙想」と「坐禅」の違いを分かりやすく説明していきます。
「黙想」とは?
「黙想」とは、黙って、思いにふけることを言います。
「ソファに座り、ずっと黙想している」「秋の夜長、黙想にふけるのも楽しい」などと使います。
似た言葉に「瞑想」というものがあります。
「瞑想」は目を閉じて、心を静め無心になるといった意味になります。
「黙想」は特に目を閉じるといった意味は含まれていません。
ですから「目を閉じて黙想する」という言い方はします。
一方「瞑想」の場合は「目を閉じて瞑想」と言いますと「頭痛が痛い」といったようにおかしな表現になるということも併せて覚えておきましょう。
「坐禅」とは?
「坐禅」とは、仏教の中心的修行法の一つです。
特に禅宗において、根幹となす修行です。
「座禅」の原則としては両方の足の甲をそれぞれ太ももの上に組むという座り方をします。
この座り方は「結跏趺坐(けっかふざ)」と言いますが、仏教のおける最も尊い座り方となります。
呼吸を緩やかにして、宗教的な精神統一を実現させます。
「座禅」とは仏教の修行となり、通常の「思いにふける」とは違うものです。
「黙想」と「坐禅」の違い!
「黙想」と「坐禅」の違いを、分かりやすく解説します。
どちらも「黙っている」という意味では共通点がありますが、まったく意味が違うものですから、混同しないように気をつけてください。
「黙想」とは黙って思いにふけることです。
簡単に言うならば「考え事をしている」とも表現できます。
似た言葉に「瞑想」がありますが、こちらは「目を閉じて心を静め、無心になり思いを集中させる」ことです。
目を閉じることなく静かに考えている場合は「黙想」、目を閉じていれば「瞑想」といった言葉を使うことができます。
一方の「座禅」ですが、これは仏教のおける修行法の一つです。
「結跏趺坐(けっかふざ)」という座り方が基本になります。
つまり「ソファに座って座禅」といったことはありえません。
また何を考えてもいいわけではなく「宗教的な精神統一」をする修行です。
まとめますと「黙想とは黙って思いにふける」「座禅とは仏教における修行法の一つ、精神統一」となります。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
「黙想」と「坐禅」、二つの言葉の意味と違いを説明しました。
それぞれの言葉の意味を正しく理解して使い分けていきましょう。