この記事では、「世俗にまみれる」の意味を分かりやすく説明していきます。
耳にすることが少なくない「世俗にまみれる」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
「世俗にまみれる」とは?意味
「世俗にまみれる」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
「世俗」は「せぞく」と読み、「世間一般にみられる様子」などを意味する言葉になります。
いわゆる世間で行われていることを意味したり、一般の人が暮らしている世の中の様子などを示唆する言葉になります。
一方で「まみれる」という言葉には、「あるものが一面について、汚れる」という意味があります。
これを踏まえて「世俗にまみれる」という言葉には、「一般の世の中に入った結果、それが当たり前になる」というような意味があります。
少し世間一般に対する見方に蔑みが入っているようなニュアンスがあります。
「世俗にまみれる」の概要
「世俗にまみれる」という言葉には、「一般人が暮らす世界で暮らし始めたところ、なじんでしまい、一般人のようになってしまった」という意味があります。
前提として、やや高貴な人が、一般の世界に降りてくるような印象のある言葉になります。
また、世間知らずの人が、裏表のあるような世界に入り、様々な現実にもまれるようなとき、「世俗にまみれる」という言葉を使うことになります。
「世俗にまみれる」の言葉の使い方や使われ方
「世俗にまみれる」という言葉は、一般の世界に入ること、ありふれた社会で暮らすことなどを意味し、そのような世界に生きてこなかった、高貴な人や、箱入り娘、出家していた人などに対して使うことが多くなります。
例えば、学者として部屋にこもりきりで研究ばかりしていた人が、事情があって、一般の仕事を始めるとき、「この年になって、世俗にまみれることになるとは」などと感嘆するかもしれません。
また学校のクラスの中の、高い雰囲気の女子が、一般の生徒たちのように、流行りの音楽を聴いたりアイドルを推したりするようになるとき、思ったよりも楽しいことから、「世俗にまみれるのも、悪くないね」などと言うかもしれません。
「世俗にまみれる」の類語や言いかえ
「世俗にまみれる」の類語として、「俗世にまみれる」という言葉があります。
「世俗」をひっくり返した「俗世」は「ぞくせ」と読みます。
「世の中」「俗人の住む世界」という意味があり、もともとは仏教用語です。
僧侶や仏が、一般人の住む世界を指して「俗世」と言います。
「俗世にまみれる」には、「一般人の暮らしに染まる」というような意味があります。
まとめ
「世俗にまみれる」という言葉についてみてきました。
この言葉には、やや高い位置にいる人が、庶民の暮らしをするようなときに使うことが多くなります。
あなたの周囲にいる、高い雰囲気の友達や同僚を、俗っぽい趣味に誘うときなどに、「世俗にまみれてみなよ」などと誘ってみてはいかがでしょうか。