「見過ごす」と「看過」
同じような意味の言葉に感じますが、何か違いや使い分けはあるのでしょうか?
この記事では、「見過ごす」と「看過」の違いを分かりやすく説明していきます。
「見過(みす)ごす」とは?
「見過ごす」には以下の意味があります。
・「見ていながら、気付かない」、「見落とす」
・「見ていながら、問題とせずにそのまま放置すること」
「見過ごす」の使い方
・『景色に目を取られて、信号を見過ごしそうになった』
・『ドラマを見過ごさないように、録画予約をしておいた』
・『不正を見過ごした結果、後々大問題に発展してしまった』
「看過(かんか)」とは?
「看過」とは、「見ていながら、問題とせずにそのまま放置すること」や「見逃すこと」を意味する言葉です。
「看」という字は、人が目の上に手をかざして遠くを見ている様子を表した会意文字であり、「みる」や「注意してよくみる」という意味があります。
「過ごす」は「何かをして時間を費やす」や「月日を送る」、「年をとる」のように時間の経過を表す意味を持つ一方で、「そのままの状態にしておく」という意味も持っています。
「看過」は文字通り、「見ながら、そのままの状態にしておくこと」を表現した言葉になります。
ちなみに、「看過」という言葉には、もともと「眺めながら立ち寄る」という意味があり、それが変化して「見逃すこと」という意味を指すようになったとも言われています。
「看過」の使い方
・『コンプライアンスの観点から看過することのできない問題』
・『若者の文化は、揶揄されながらも看過できない影響力を常に持っている』
・『日頃の業績により、今回の彼の失態については看過された』
「見過ごす」と「看過」の違い
「見過ごす」も「看過」も同じく「見ていながら、問題とせずにそのまま放置すること」という意味を持っており、ほとんど同義語に近い言葉です。
ただし、「見過ごす」には「見落とす」という意味が含まれています。
「見落とす」には「見てはいるが、(他に意識を取られて)うっかり気付かない」というニュアンスがあり、「看過」にはこの「うっかり気付かない」という意味合いは含まれません。
したがって、「サインを見落とす」=「サインを見過ごす」という表現はされても、「サインを看過する」という表現はされません。
逆に、「看過」は「見て見ぬふりをする」など「知っていながら」、「分っていながら」というニュアンスで用いられます。
まとめ
・「見過ごす」とは、「見ていながら、気付かない」や「見落とす」、「見ていながら、問題とせずにそのまま放置すること」を意味する言葉です。
・「看過」とは、「見ていながら、問題とせずにそのまま放置すること」や「見逃すこと」を意味する言葉です。
「見過ごす」も「看過」もほぼ同じ意味の言葉です。
ただし、「見過ごす」には「見落とす」=「見ていながら、うっかり気付かない」という意味が含まれますが、「看過」にこの意味は含まれません。