この記事では、インターネットだけではなく新聞や雑誌記事などでも見られる「主語の大きい人」の意味を分かりやすく説明していきます。
「主語の大きい人」とは?意味
「わたしが嫌だと思っている」という言葉を「みんな嫌だと思っている」というように主語を大きくして話を大きくし、自分の意志は大衆の意思のような意見の展開をする人のことです。
「酒によって態度の悪い男性がぶつかってきた」というシチュエーションを男性全体の問題にしてしまうケースも主語の大きい人の例といえます。
また、新聞の謝罪記事で「弊社」と書くところを「わたしたちは」とする文体も、それほど直接的ではないものの主語を大きくしていると見られる部分があります。
「主語の大きい人」の概要
主語の大きくすることは注目度を高めて自分が抱えている問題をより多くの人にわかってもらいたいという意図があります。
また、強引に自分の気に食わないことを社会的な問題にしようとするケースなどでも主語を大きくするケースがあり、自分が何らかの集団の代表になって集団の意見を述べているような見え方になってしまうことがあり、その何らかの集団に対して別段意見を聞いて回って自分が発表するわけではないという点も問題と言えます。
いずれにせよあまりいい意味で使われる言葉ではなく、主語は適切に使うべきでしょう。
なお、「わたしたち」「日本全体」「世界全体」などの言葉が主語を大きくする例として使わ割れます。
なお、厳密な元ネタは不明となっており、昔から一定数主語の大きな人はいたと言え、ブログやSNSの普及によってそれがさらに目立つようになったということが言えます。
マンガのさよなら絶望先生において登場した主語の大きな人を揶揄するシーンでより広く取り上げられた感があります。
「主語の大きい人」の言葉の使い方や使われ方
「主語の大きい人は何かを代表した気になっているように見える」「主語の大きい人同士の会話はわかりにくい」「主語の大きい人は例外や細かな違い、多様さを見落としているケースが多い」などの使い方があります。
主語の大きい例としては「女性すべてが怒っている」「学校全員がやりたいと感じている」などの例があり、個人個人の本心がどうなのかなどは完全に無視されています。
「主語の大きい人」の類語や言いかえ
「誇張法」、「太宰メソッド」(人間失格の世間とは個人じゃないかという文章からの有村悠氏の造語) 「代表気取り」「総意を得たと勘違いしている」などが言い換えとして使うことが出来ます。
まとめ
主語の大きい発言は傍から見ると迷惑なのですが、言っている側は強い力の後押しを得たような気分が得られ、自分ひとりの問題を解決すべき社会的問題に引き上げられる感覚があることから、そう簡単にはなくならないものと考えられ、国語教育などで問題点を教えるなどしたとしても、メリットと目的がある限りは主語の大きい人は現れるでしょう。