会社の宴会などで使われる「無礼講」とはどんな意味なのでしょうか、今回は「無礼講」の意味と類語について解説します。
「無礼講」とは?意味
「無礼講」とは、「身分や立場の違いを忘れ同じ立場で楽しむ宴会」を意味する言葉です。
「無礼講」の概要
「無礼講」の「礼講」とは「神様に奉納した神酒を賜る日本の神事」を意味する言葉です。
非常に厳格で格式の高い神事である礼講の終了後に二次会のように行われていた宴会を指す言葉が「無礼講」です。
本来の意味の「無礼講」は「礼講の後に人間だけで行われる酒席」でした。
元々は神様の目を気にせず人間だけで打ち解けて楽しむ様子を表していた「無礼講」ですが、そこから転じて「気を使う相手がいない身分の上下がない宴会」をという意味となっています。
現在では「無礼講」といえば「上の人間に気を使う必要がない羽目をはずしてもいい宴会」という意味が主流です。
細かい礼儀作法やしきたりを気にせずに行われる宴会は知らない物同士が打ち解けたり普段は付き合いのないもの同士が交流するのに効果的なことから主に会社関係の宴会を中心に広まります。
今では「気を使わなくていい宴会」程度の軽い意味合いでも使われる表現ですが本来は身分や立場の違う人達が参加する宴会に対して用いられる言葉です。
「無礼講」を「何をやっても怒られない」という意味で解釈する人がいますがこれは誤りです。
「無礼講」という字面を見て「無礼が許される集まり」と誤読する人がいますが本来の言葉の意味としては「礼講では無い」を表しており「礼儀が無い」という意味合いは含まれていません。
多少の無礼は許されても明らかに失礼な振る舞いは非礼な行動に対してはいかに「無礼講」とはいえ注意されたり怒られたりする可能性があるので注意が必要です。
その宴会を「無礼講」とするかどうかは基本的に参加者の中で一番上の人間に判断する権利があります。
下の人間kが勝手に「無礼講」にする権利はありませんし主催者といえども上の人間に相談せず「無礼講」を前提に集まりを催すのは間違いです。
上の人間が下の人間に対して気を使わなくてもいいよ、と配慮してくれた結果が「無礼講」です。
「無礼講」の言葉の使い方や使われ方
・『今日は無礼講なので大いに楽しんでもらいたい』
・『無礼講なのだから普段放す機会のない人と話そう』
・『年末の忘年会は無礼講で大いに盛り上がった』
・『無礼講だからといって好き勝手やっていいわけがないだろう』
「無礼講」の類語や言いかえ
・ざっくばらん
「思ったことを率直に言うなど細かいことを気にせずふるまうこと」を意味する言葉です。
「ざっくばらんな宴会」という場合は参加者同士が遠慮することなく言いたいことを言ったり遠慮無くコミュニケーションしたりする気を使わない宴会を指します。
・壁を取り払う
「コミュニケーションを阻んでいるものを消し去って同じ立場に立つこと」を意味する言葉です。
身分や立場を超えるという意味において「無礼講」と近しい表現です。
まとめ
「無礼講」は宴会に出る機会の多いサラリーマンにとってはおなじみの言葉です。
間違った解釈をしていると人間関係のトラブルになりかねないので正しい意味を知っておきましょう。