この記事では、「立て板に水」の意味を分かりやすく説明していきます。
「立て板に水」とは?意味
「立て板に水」は「たていたにみず」と読みます。
意味は、「すらすらと話すこと」で、よどみなく流ちょうに話す様子を表す慣用句です。
大勢の人の前でも、スピーチの原稿がある・なしに関わらず、つっかかったり間が空いたりすることなく、スムーズに話すことを言います。
「立て板に水」は、「人の話を聞き流す」「喋り過ぎてうんざりする」などの悪い意味ではありません。
あくまで頭の回転が早く、言葉が滑らかに出てきてよどみなく喋る様子を表す言葉です。
「立て板に水」の概要
「立て板に水」の語源は、「立て板に水を流すがごとく」から来ています。
「立てて板」とは、文字通り「垂直に立てられた板」のことで、そこに「水」をかけると重力により全て流れ落ちてきます。
「流れて落ちていくこと」から「すらすら流れること」になり、「人が流ちょうにしゃべる様子」として使われることになりました。
水が重力に従って板を流れ落ちる様子ですので、この言葉自体に「早口」という意味までは含みません。
「立て板に水」の言葉の使い方や使われ方
「立て板に水」の言葉の使い方や使われ方は以下の通りです。
『趣味の話になると立て板に水の様だ』
自分が好きなことの話になると、人はつい夢中になってしゃべってしまうのです。
普段あまりしゃべらない人が、趣味の話になると生き生きしてよくしゃべる様になり、話が途切れない様子を表しています。
『お酒おせいもあり立て板に水の様に悪口を並べる』
人はお酒が入ると気持ちが大きくなり、普段口にしないことでもついしゃべりたくなるものです。
お酒の席で、普段他人に対して抱いている良くない感情が出てしまい、つい悪口で盛り上がってしまう様子を表しています。
『彼は結婚式の立て板に水の様にスピーチをした』
人前で話すのが苦手な人がいる一方で、人前で話すのが大好きという人もいます。
結婚式のスピーチで、よほど練習してきたのか、一度もつかえることなく最後まですらすらと話す様子を表しています。
「立て板に水」の類語や言いかえ
「立て板に水」の類語や言いかえは以下の通りです。
「竹に油を塗る(たけにあぶらをぬる)」
「竹に油を塗る」は、「弁舌が得意ですらすらとよく喋ること」という意味の慣用句です。
「竹」はそのままでもすべすべしているのですが、油を塗れば更にすべる様になることから、非常にスピーチが上手な人に使われます。
「一瀉千里(いっしゃせんり)」
「一瀉千里」は、「弁舌がよどみないだけではなく、文章も巧みで流れる様であること」という意味の慣用句です。
「瀉」は「水が流れ出すこと」という意味で、「一度あふれ出た水が勢いよく千里流れていくこと」から転じて使われる様になりました。
まとめ
今回は「立て板に水」について紹介しました。
「立て板に水」は「すらすらと話すこと」と覚えておきましょう。